80年代を駆け抜けた唯一無二のスター
1982年にデビュー。多くのヒット曲を送り出し、松田聖子とともに80年代を駆け抜けた大スター・中森明菜。聖子がある意味したたかに時代を踏み台にしてきたのと対照的に、明菜は実に不器用に時代に翻弄されてきた感がある。
彼女のスター人生の大きな転換となってしまったのはやはり1989年の自殺未遂だが、「TATTOO」はその前年1988年にリリースされている。
1985年の「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」、翌年の「DESIRE -情熱-」で、2年連続、日本レコード大賞を受賞し、歌手としてひとつの頂点を極めた明菜は、以降は楽曲やアルバムのセルフプロデュースも担当するようになる。
この「TATTOO」というナンバーはその集大成ともいえる通算21枚目のシングルで、オリコン週間ランキングで1位はもちろん、当時の人気音楽番組『ザ・ベストテン』でも1位を獲得し、これで同番組で1位になった週が通算69週を記録、番組史上最多回数となった。さらに同番組で1位獲得し楽曲曲数もこれで17曲目となり、これもまた歴代1位だ。
真っ赤なスパンコールのマイクロミニのドレスをまとい、レトロなスタンドマイクを前にビッグバンド風のサウンドのナンバーを熱唱。当時、自分の脚にコンプレックスのあったという明菜はミニ丈の衣装に難色を示すも、楽曲の世界観のために必要なことだと、最終的には自ら納得したコスチュームだったという。
幼少時にクラシックバレエを中途半端に習ったことで脚が太くなってしまった、と何かの番組で話していたのを覚えているが、「TATTOO」で披露したその脚線美は素晴らしかった。
ここにいたるまでのすさまじいまでの活躍。
デビューこそアイドルだったが、情感あふれる歌唱力と、あどけない笑顔とクールな表情が混在するギャップが魅力のルックス、衣装や振り付けに見られる独特のセンスで、どんどん世界観を広げ、中森明菜はまさに他の追随を許さない唯一無二の存在となっていた。