「これから先、自分がどんなに幸せになったとしても…」

東出は底抜けに明るい顔をしたかと思うと、ふとした瞬間に底なしの淵をのぞいているかのような表情を浮かべることがあった。

そんな暗い目に出くわすたびに、メディアに親切なのは単なる防衛手段の一つであり、実際は、そんなに人を信用していないのではないかとも思えた。むしろ、そうならない方が不思議である。

スキャンダル直後、東出はまさに沼の底にいた。

「自分がどれだけのことをしたのかわからないとと思って、いっぱいエゴサして、ヤフコメとかも見るようにしていました。自分の欠陥は何なのかばっかり考えていましたね」

生活拠点としている北関東の山小屋で語る東出昌大
生活拠点としている北関東の山小屋で語る東出昌大
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自宅に届いた消印なしの便せんには、達筆な字で〈万死に値する〉と書かれていた。差し出し人はそれをわざわざ自分の家まで直接持ってきたのだ。見ず知らずの人から尋常ではない怨念を向けられていることに寒気を覚えた。

犯罪組織の人間、あるいは犯罪者の心と、自分の感情を重ね合わせたこともある。

「オウム事件のあと、上祐史浩さんが贖罪の気持ちを抱えながら、どうやって生きてきたのかとか考えたし、永山則夫死刑囚はどういう生い立ちで、どんな思いで『木橋』(獄中で書いた小説)を書いたんだろうみたいなことも読みながら考えてましたね」

最近も、こんなことがあった。東出が語る。

「一昨日、警察から電話があったんです。5ちゃんねるに東出の山小屋を確実に放火してやるというスレッドが立ったらしくて。だから、気をつけてくださいって。マジ? って。知り合いの弁護士とも話をして、(身元の)開示請求をしますかって言われたけど、それは断りました。中学生とかが、遊びのつもりでやってるだけかもしれないですし」

それが東出の日常なのだ。

脅迫スレッドの話をした後、東出はある冗談を口にし、高らかに笑った。

「冗談にしないと……。それくらいの冗談、言ってもいいんじゃない?」

いいと思う。

今も取り返しのつかないことをしてしまったという思いは消えていない。

「浮気は魂の殺人であるということは痛感したので。これから先、自分がどんなに幸せになったとしても、その思いは自分の底に澱のように沈んだままだと思います」

取材に臨むにあたり、われわれは東出に取り込まれないようにしようということと、もう一つ決めていたことがある。

なんでも聞いてやろう——。

立ち入った質問、不躾な質問、下世話な質問も含め、できる限り本人にぶつけた。一般論として「浮気は本当に悪だと思うか?」とも聞いた。