なぜ、嘘ばかりのメディアの人間と仲よくできるのか

前日、ネットに某写真週刊誌のWEB版に〈東出昌大、新婚わずか1カ月「でっくんが山から消えた!」…近隣住民が語る“夫婦生活”の実態〉というタイトルの記事が上がっていた。「でっくん」とは東出の仲間内での愛称だ。

不穏なタイトルで目を引きつつ、実際の内容は、周辺取材によって東出の近況を伝えるごく平穏なものだった。記事の最後は〈東出の自宅から聞こえてきた噂の愛犬の鳴き声は、心なしか寂しそうだったが……。〉と締めくくられていた。

やや底意地の悪さを感じるものの、なんてことのない記事だった。にもかかわらず、すでに数百件の書き込みがされていて、相変わらず東出への世間の関心の高さをうかがわせた。

東出と会うなりあいさつがてら、その記事のことを持ち出すと、東出もすでに目を通していたようで「相変わらず嘘ばっかりですよ。犬は今、いないんで。実家に預けてるんですよ」と複雑な笑みを浮かべた。

話の流れ上、いちばん聞きたかったことを真っ先に尋ねた。なぜ、そんな嘘ばっかりのメディアの人間と仲よくできるのか——。

「罪を憎んで人を憎まずじゃないですけど、人間同士で憎み合っても意味がないじゃないですか」

東出は達観したようなことを言う。

「朝ごはんまだでしたらどうぞ」と熊雑炊をふるまってくれた
「朝ごはんまだでしたらどうぞ」と熊雑炊をふるまってくれた
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「記者たちもやりたくないけど、仕事上、しょうがないと思っているのかもしれないし。ここまで来て、こうやって話を聞いてくれたら、わかってくれる人もいますし、わかった上でも職業上、仕方なく嘘を書いてしまう人もいるんだろうし。そこは諦観というか、開き直りに近い思いがありますね」

それにしても、である。東出のメディアの人間との親密度は、ある意味、度が過ぎているように思えるのだ。

#2「東出が築く記者との奇妙な関係」へつづく

取材・文/中村計 撮影/石垣星児