40代のときは、まさか自分が死ぬなんて微塵も思わなかった
──ここからは、書籍内で気になるところを挙げていきます。第1章「仕事」に、「運って『相手に合わせて態度を変える人』よりも、『誰といても変わらない人』のところに来る気がする」という言葉がありますよね。至言だと思いました。
ああ、そこで言いたかったのは、運はいつの間にか来ているものだから、探しに行くもんじゃない、というか。運が来たときに、気づかん人もいるけど、それに気づいて、パッとつかんで、懐にピッと入れる感じ?
──運が来たことに気づく能力が、自分にはあると。
いや……あの、今は気づかんかも(笑)。もうボーッとしてんのよ、年をとってくると。だって、昨日「ぷよぷよ」をやったんだけどさ、昔はあんなに上手かったのに、まったくヘタなのよ。あんなにやってたのに!
──第2章「友達」には、中学からの友達が亡くなった話が出てきます。「会っても会わなくても、死んでも死ななくても友達はずっと友達だ」という記述が印象的で。死というものに向き合う機会が増えていくことについて、その時の心構えなどあれば、教えてください。
心構え? ないよ、そんなもの。ないけど、俺ぐらいの年になって、まわりにそういう人が増えるっていうのは、「そりゃあ、そういうこともあるか」と思うしかないよね。自分だってわかんないしね。自分も40代のときは、まさか自分が死ぬなんて微塵も思わなかったけど、今は「いや、あるね」って思うもん。
この本に出てくる友達も、突然だったからね。以前は近い業界にいたから、めっちゃ会ってたけど、あいつが転職して違う業界に行って、会わなくなって……仕事とか、なにをやっているのかっていう話は、聞いてたけど。
で、何年も会ってなかったからさ、亡くなっても、そのままの部分はそのままのわけよ。「何年も会ってない友達」みたいなさ。もう会えないんだけど。
──このページは、「会っても会わなくても、死んでも死ななくても友達はずっと友達だ」という一文で終わっています。
俺の場合、生きてる奴でも、もう何年も会ってなくても友達だって思う奴は、いっぱいいるわけじゃない。それは亡くなっても、変わらないというか……だからまあ……死んでも「しょうがないか」って思うようになってきている年齢でもあるのかね。
奥田民生にとっての還暦とは
──続いて第5章「メンタル」に、47歳と58歳のときにサッポロの「大人エレベーター」のCMに出演した話が出てきます。妻夫木聡に「調子の悪いときは?」と質問されて、民生さんは47歳のときは「なんとかする」と答えていて、58歳のときは「我慢する」と年齢によって違う答えをしている。
それをまわりが許してくれる年齢になっているってことでしょうね。その「我慢する」っていうのは、「そのままにしている」っていうことなんだよね。「放置する」というか、調子の悪さを改善するために、「なんとかする」ことをしてない、っていうことだよね(笑)。
自分でなんとかしていい方向に持って行って、ホッとしたい、というのが47歳のとき。58歳のときは、その力がないから、その調子の悪さを食らったまま我慢して、「早く終わってくれ」っていう感じになってるのね。
それは、もうそんな年だから、そうなってもいいんじゃないの? っていう空気があるからじゃないですかね。自分にも、まわりにも。もう、なんか食らったときに、跳ね返せないんですよ。食らったままになってるわけ。で、時が経ったら、なんかいつの間にか治ってました、みたいな日々ですよ(笑)。
──なかなかしんどそうな日々ですが。
いや、そんなことないよ。要するに、食らってる間は、若い頃ならそんな状況に耐えきれないわけよ。それが、年を取るといろんな経験もあって、「うわ、食らった。でもこれ、前にもあったかも」とか言っているうちに、じわじわ~ってなじんでいくという。そういうことです。還暦っていうのは、そういうことが許される年なのかな、と。今回の本もそういう本です。
〈前編〉ソロデビュー30周年を迎えた奥田民生が、45歳でアピールをやめたワケ。ずっと憧れられる存在でいるには?
取材・文/兵庫慎司 撮影/濱田紘輔