弱者男性の現状は、かつての女性の姿と重なる
現在、弱者男性が透明な存在とされているのは、かつて女性がビジネスの場から排除されていたのと似た現象である。
これまで、女性自らが企業発展のために多角的に活躍したいと思っても、お茶くみや部屋の掃除、お客様の受付のみ対応するなど、誰もができる雑務に追われるだけであった。重要な決め事は男性のみの会議内で決定され、女性はそれに従い、男性に言われた業務を粛々と行う。
男性は「これまでがそうだったから」「女性に向いている仕事だから」と、女性の発言に耳を貸さず、男性が望む「女性の役割」を押し付けてきた。
だが、こういった女性の社会的地位は改善しつつある。自民党政権が掲げる女性管理職比率30%の目標にはまだ遠いものの、それでも少しずつ、女性は社会的地位を獲得し始めた。
だからこそ、これからは弱者男性の待遇改善、キャリア支援にスポットライトが当たっていくと期待したい。従来、女性が「透明な存在」として排除されてきた地位がこれほどまでに変わり得るならば、同様に透明化されてきた人々も日の目を見る可能性はあるのだ。
同様にLGBTQ+や障がい者は、いずれも雇用の場で長らく、「いないもの」として扱われてきた。しかし、今ではDE&I(ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン)の御旗のもと、いかにこれらのマイノリティを採用しているかが、企業の指標となるまでに変化している。かれら・彼女らの採用人数が客寄せパンダのように使われる時点で真の平等には程遠いものの、少なくとも「いないもの」であった状態からは脱した。
次は弱者男性の番だ。というと、「かわいそうランキング」を引き合いに出し、救いはないと決めている者がいる。
しかし、もともと女性も、障がい者も、LGBTQ+もかわいそうではなかった。江戸時代、生まれた子が女性なら間引かれたがゆえ、男女比は4:1になっていた。LGBTQ+は「いないのがあたりまえ」で、バレたら「俺のことを襲うなよ」とイジられ、疎外される存在だった。弱者男性も今は、かわいそうと言われていないのだろう。だが、これからは変わり得る。
何よりも、弱者男性を見捨てることには、経済的合理性がない。日本人の8人に1人は、弱者男性である。弱者男性にスポットライトが当たらないままでいれば、約最大1500万人分のGDPが停滞してしまうわけで、国はそれを無視することはできないはずだ。
しかも、弱者男性の多くには就労意欲がある。ITによって乗り越えられる障壁も増える。怠け者ではなく、勤勉であるにもかかわらず、強者男性が独占する「時給プレミアム」の世界に入ることができず低賃金にされてしまった者も多いのだ。
女性参政権もイギリスでは、第一次世界大戦の戦力になった女性を知ったことによる衝撃、敬意を通じた「透明化されなくなるプロセス」があった。そう考えると、弱者男性が2024年の女性くらいの権利を得るまでには、あと何十年もかかるかもしれない。だが、それでも前進はする。何より、もうかれらは「まったくの透明」ではないのだ。
文/トイアンナ