ギフテッド教育に必要・不要なものとは
――ご自身の経験も含めて、今後どういう世の中になればいいなと思いますか。
加藤 「ギフテッドの支援=その人の特化する部分を伸ばす」、それ一択は辞めてほしいなと思います。
一同 うんうん、 わかる。
加藤 本人からすれば楽しいことの1つに過ぎなかったのに、勝手にその一本槍で戦うことを期待される。結果、後で自分の完全上位互換と出会って存在意義の喪失に苦しむと。
――具体的にそれはどうしてなんですか?
立花 結局、役に立たなきゃいけないんですかっていう話になっちゃうんですよ。この社会に対して何か特別な能力を発揮しなくては居場所がないんですかって。そんなはずはないんですよ。
春間 ギフテッドと呼ばれる人たちはいろんなことに興味を持って、たくさんのことができるようになっていくはずなんですよ。だから早い段階で「この人はこれ」って決めること自体が間違っているっていうのはありますね。
加藤 ゴルフのタイガー・ウッズって小さい頃からゴルフをやらされ続けてきて、ギフテッド教育ってそちらを想像されがちなんですけど。 たとえば、テニスのロジャー・フェデラーは数多のスポーツを経験したうちの一つとしてテニスをやっている。いろんなことを経験した上である一つが発芽するっていうタイプもギフテッドの中では割と多いことを知って欲しいですね。
春間 高IQを集めたクラスでは 、先生も 同じような高IQではないと厳しいと思います。同じような苦しみを経験している人じゃないと…。
立花 この子ちょっと違うなって感じたり、 その子に何が必要なのかをわかるのも、 当事者の要素がある先生なのかなって。ただそういう人が公務員としての教師を続けられるかというと、特性的に難しいことが多いようです。
加藤 私はギフテッド教育がしたいわけではないけど、もっと子どもたちに自由な感覚で学んでほしいと思い 、昨年に外部からの招聘って形で小学校で教えてました。
立花 変わっている子どもにとっては、変わっている大人がこんなにいるんだってわかることがすごい勇気になるからね。
春間 世界が拓けていくこともありますからね。
――たしかに。そういう存在がいると知れただけで安心しますよね。
立花 ギフテッドをめぐる状況は未だ混迷していますが、ギフテッドという言葉が認知されるようになったのは喜ばしいと感じています。昔、発達障害って言葉自体がなかったですよね。それが一般的になるまで当事者や支援者が奮闘した結果、特性と必要な配慮が広まりました。
ギフテッドも今、そうなりつつある過程にあると考えています 。ただ、当事者の多くは困り感を抱えていながら、ギフテッドという字面の印象から偉ぶっているイメージを周囲に与えやすく、本質的な対話の機会を持つことが難しいですね...。(「ギフテッド」や「発達障害」という)名称があってもなくても、そういう人がいるって事実は変わらないので。