大分県の銘菓「ざびえる」の運命は?

1549年(天文18年)4月15日にインド西部・ゴアを出発し、約4ヶ月間の航海を経て、同年8月15日に鹿児島・祇園之洲に来着した宣教師フランシスコ・ザビエル。

その後、佐賀や長崎、大阪を転々としながら布教活動を行ない、1551年9月には府内(現在の大分市)の街を来訪。そこでは、戦国大名・大友宗麟(おおとも・そうりん)の庇護を受けながらキリスト教を布教し、同時に「南蛮文化」をも広めたとされている。

ザビエルと縁深い大分県には、50年以上長く愛され続ける銘菓「ざびえる」がある。「大分県民なら知らない人はいない」とされるこの銘菓は、ザビエルの功績をたたえて昭和30年代に誕生。

バター風味のサクッとした食感のビスケット生地と、しっとりとした餡のコンビネーションが特徴で、大分空港内にある土産物店では「1日200箱くらい売れる」と言われるほどの人気商品だ。

大分県のお土産として定番の銘菓「ざびえる」
大分県のお土産として定番の銘菓「ざびえる」
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銘菓「ざびえる」を作っているのは、大分県大分市を拠点とする株式会社ざびえる本舗。もし教科書の表記が「ザビエル」ではなく「シャヴィエル」になり、この名称が一般的になった場合、ざびえる本舗では会社名や商品名を変更するのだろうか? 

ざびえる本舗に問い合わせると「教科書では一部、表記が“シャヴィエル”になっているのは存じてます」と言う。今後の意向については後藤賴彦代表取締役が答えてくれた。

「一部の教科書で『ザビエル』の表記が『シャヴィエル』になっているのは存じています。それでも、『ざびえる』の商品名は変更しません。半世紀以上愛されている大分の代表銘菓ですので、(この商品名で)続けさせていただきます」

後藤氏による「商品名は変えない」という力強い言葉を聞き、安心している大分県民も多いことだろう。一方で、「ざびえる」を販売するショップはどう感じているか。大分空港内にある土産物店の店員に聞いた。

大分県のお土産として定番の銘菓「ざびえる」
大分県のお土産として定番の銘菓「ざびえる」

 「『ざびえる』は長年にわたり、多くの人から愛されている商品です。20年以上前には会社が経営破綻し、生産が終了してしまった時期がありました。でも、『あの味をなくさないで』『ざびえるを残してほしい』という声が上がって復活したというエピソードがあるほど、県民にとっては非常に思い入れがあるお菓子なんです。

『大分土産=ざびえる』と確立しているので、たとえ教科書の表記が変わっても、商品名は『しゃゔぃえる』にしないでほしいですね」

また、日本全国にはザビエルの絵画を展示した博物館や、銅像を建てている施設がいくつかある。「シャヴィエル」の名が一般的になった場合、これらの施設ではどのような対応をとるのだろうか。

まず、多くの教科書に掲載されているザビエルの絵画を所蔵する神戸市立博物館の担当者に聞くと、「今のところ変更する予定はない」とのこと。

神戸市立博物館ではフランシスコ・ザビエルの肖像画や足跡を辿る資料が展示されている(写真は神戸市立博物館ホームページより抜粋)
神戸市立博物館ではフランシスコ・ザビエルの肖像画や足跡を辿る資料が展示されている(写真は神戸市立博物館ホームページより抜粋)

また、大分市にある遊歩公園では、入り口にザビエルの銅像が配置されている。

大分市の戦後復興計画の一環として整備された「遊歩公園」には、屋外彫刻として聖フランシスコ・ザビエル像が配置されている
大分市の戦後復興計画の一環として整備された「遊歩公園」には、屋外彫刻として聖フランシスコ・ザビエル像が配置されている

 そこには「聖フランシスコ・ザビエル像」というプレートが掲げられているが、担当者に聞くと、こちらも「現時点で変更は検討していない」とのことだった。