▶第1回 WOWOWがパラアスリートのドキュメンタリー番組『WHO I AM』を作り続ける理由 を読む

第2回では「WHO I AM」を放送前から高く評価し、バックアップして来たWOWOW会長、田中晃氏に、パラスポーツ中継の歩みと、賭ける思いを聞く。

前職のスカパーJSAT時代の田中氏。この頃からパラスポーツ中継に取り組んだ
前職のスカパーJSAT時代の田中氏。この頃からパラスポーツ中継に取り組んだ
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今年4月にWOWOW社長を退任し、会長に就任した田中晃氏は、大学卒業後に日本テレビに就職し、プロ野球、箱根駅伝、世界陸上、サッカーのトヨタカップなど数々のスポーツ中継を指揮してきた。

その彼が、2005年に日本テレビを退社してスカイパーフェクト・コミュニケーションズ(現・スカパーJSAT)に転じてから取り組むようになったのが、パラスポーツの中継だった。そこで気づいたことは、それまで経験したビッグスポーツイベントとは異なる「パラスポーツならではの魅力」だった。

それは2008年のことだった。この頃、2016年のオリンピック・パラリンピックを東京に招致しようという動きが本格化していたが、お世辞にも招致委員会でパラリンピックが重視されていたとは言えなかった。

2006年11月に設立された招致委員会の名称も「東京オリンピック招致委員会」で、パラリンピックの名称は含まれていなかったほどだ。

委員会のトップに就任した石原慎太郎東京都知事(当時)が熱心に活動して機運を高めていたが、パラリンピックの価値が語られることはほとんどなく、たまに語られても報道されることは少なかった。