仲間と鍛錬して壁を破る

先生から学んだ基本を反復する。先生や先輩の指導を受ける。そして仲間と一緒に稽古していく。守破離の「破」は、仲間との稽古の段階です。

野球やサッカーはチームスポーツですが、武道はチームスポーツではありません。団体戦はありますが、基本的に集団戦ではなく、一対一の対戦です。

そして個人の戦いでありながら、一緒に稽古をしている仲間の存在があるのです。大学の剣道部を見ていても、熾烈なレギュラー争いがあり、「後輩に負けたくない」「先輩に負けたくない」といったライバル意識を持って、学生たちは鎬(しのぎ)を削っています。

先生から学んだ基本の技を、ライバル相手に試してみる。自分なりに工夫してみる。これが自分の得意技となり、試合でも勝てるようになると、ものすごくうれしいわけです。

周りは皆ライバルでもあるけれど、相手も一生懸命やっている。だから自分も一生懸命やる。そこから相手に対する思いやりが生まれてきます。仲間に対する感謝と共感。武道ならではの独特な絆が生まれるのです。

チームスポーツでも、チームメイトとの間に仲間意識は生まれますが、剣道の場合は、戦う相手に対して、勝っても負けても感謝の念が湧いてきます。これはやはり、スポーツの絆とは違うものです。

私は剣道を始める前、ニュージーランドでサッカーとクリケットをやっていたので、チームプレイの楽しさも知っています。サッカーやクリケットと比べると、剣道は孤独です。

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道場のなかに先輩がいる、後輩がいる、先生がいる。周りにいろいろな人がいて、皆、一緒に稽古している。けれど、やはり孤独なのです。武道は戦の世界で生まれたもの。元をたどれば、人を殺すための技術です。それでも剣道は相手がいなければできません。だから相手の存在をリスペクトするようになります。矛盾した不思議な感情ですが、修行が進むにつれ、戦う相手に対して深い感謝の念を抱くようになるのです。

この独特な感謝の念から、相手への思いやりが生まれます。他者への想像力を働かせて、眼の前の相手を理解しようとします。私の場合、日本で剣道を学ぶようになってから、基礎的なマナーが身に付き、以前よりは他人に気を利かせることができるようになりました。剣道では「形」としての礼法をはじめに学びますが、仲間との研鑽を重ねるうちに、形式的でない本当の「礼」ができるようになっていきます。

守破離の「破」は、仲間と鍛錬することで、壁を破る段階です。