生活費を稼ぐために、美術学校でヌードモデルも経験
運転手が向かったのはタイムズスクエア。圧倒的な人の多さと、きらびやかなネオンに感動したマドンナは、心の中で強く誓った。
「神よりも有名になる!」
最初に借りた安アパートは、当時はまだ危険が多かったイースト・ヴィレッジのはずれだった。ドーナツ店のウェイトレスやレストランのクロークなどの薄給のアルバイトをしながら、ダンススクールで汗まみれのレッスンを受ける日々。
お金がないので、公園でゴミ箱からハンバーガーやフレンチフライを拾って食べたこともあった。生活費を稼ぐために、美術学校でヌードモデルも経験した。
やがて「スターになるには歌うことが近道!」と考えるようになり、バンドを組んで音楽活動をスタート。個性的なファッションとパフォーマンスを披露し、自分で作った曲をDJに渡したりした。
ダンスやヴォーカルの師として、マドンナが頼りにしたのは、自分と同じ夢を抱くヴィレッジの住人や色気と体臭が渦巻くクラブのダンスフロアだった。マドンナは1982年10月に『Everybody』でデビューを果たすまで、イースト・ヴィレッジにとどまった。
「ストリートで生まれるセンスやエネルギーやインスピレーションを巧みにとらえる天性を備えたダンサーであり、アーティスト」とメディアに書かれたのは、後のことだ。
契約先のワーナー・レコードが、まったくの偶然からマドンナを発見したのも一本のビデオテープであったというように、1980年代の音楽シーンは、ヴィジュアルの時代に向かって大きく様変わりしようとしていた。
その先導役を果たしたのは1981年のMTVの開局であり、マドンナは幸運にもその大きなうねりに乗った最初のアーティストとなった。
その最初のハイライトである、1983年から1990年までのヒット曲を記録した『The Immaculate Collection』には、ダンスフロアとポップチャートを騒がせた17曲のうち、No. 1ヒットが8曲も収録されている。このベストアルバムは全世界で3000万枚以上を売り上げた。
そんなスーパースターには、時に大きな逆風も吹き荒れる。