副知事の涙の裏にあったものは…

「震災がそもそもの始まりだったんです」

と話すのは県のOB氏だ。

「1995年の阪神・淡路大震災を経験した兵庫県はその後、災害支援を積極的に行なってきました。2011年の東日本大震災では宮城県南三陸町などに支援職員を送りましたが、それを差配したのが片山副知事。他の3人は現地へ飛びました。

その宮城県に震災2年後に総務省から出向し市町村課長を務めたのが兵庫県出身の斎藤知事です。井ノ本さんを筆頭に兵庫県職員との付き合いを深め、その関係の濃さから、仙台名物の牛タンを食べ歩いたのかどうかは知りませんが“牛タン倶楽部”と陰口をたたかれるようになりました」(県OB)

7月19日に兵庫県庁前で行われた抗議行動で掲げられたプラカード
7月19日に兵庫県庁前で行われた抗議行動で掲げられたプラカード

その後、斎藤氏は維新天下の大阪府に財政課長として赴任。当時の大阪府知事の松井一郎氏と2019年から知事になった吉村洋文氏の下で維新政治に感化されたようだ。

「知事と課長の関係なので仕方ないですが、松井さんや吉村さんから『おい斎藤』と呼ばれて『ハイハイ』とすばしっこく動き回っている印象でした。

そこで気に入られた斎藤さんは維新の推薦を受けて2021年の兵庫知事選に出馬し、それまで20年の長期県政を続けた井戸敏三知事(当時)の後継候補を破ります。もちろん牛タン倶楽部の部員たちは斎藤さんの選挙を一生懸命手伝いました。これをAさんは告発文書で、公職選挙法違反の疑いがあると指摘しています」(県OB)

長期政権の後継者が敗れ、兵庫県政は様変わりした。

「表向きは維新が兵庫県政を手中に収めたように見えましたが、兵庫の事情に疎い40代の知事を担いだ4人組こそが勝者でした。就任直後から斎藤知事を外部から遮断して人との接触を避けさせ、知事の人脈はほとんど広がっていない。知事の軽さを利用して4人組が権勢を誇ってきたのがこの3年間です。

一方で斎藤知事は“上司”にもいい顔をしなければならない。東京出張を吉村さんの都合に合わせてスケジュールを組んだ結果、斎藤知事自身が肝心の大臣のアポを入れられなくなってしまうなど、漫画みたいなことをやってきました」

そう解説する県政界の有力者は、今の事態に至った背景も説いた。

「ただ一つ、4人組が想定外のことがあった。斎藤さんがパワハラ体質だったことです。行く先々で県職員から総スカンに遭い、Aさんの告発文書の形で噴出した。そこで片山副知事などはさっさと辞めると言い出し、記者会見で『知事を支えられなかった』と泣いてみせてましたが、アホらしい。ただのイチ抜けです。

片山副知事は号泣して辞職を表明したが…(写真/共同通信社)
片山副知事は号泣して辞職を表明したが…(写真/共同通信社)
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ただ片山副知事は4人組の頭目ではない。この後、斎藤さんが知事を辞めても残る4人組のメンバーがいる限り、県庁が変わるのは難しいでしょうね」

大震災を被った経験を次の被災地支援に役立てようとした兵庫県の努力が今の県政の混乱の原点にあるのだとしたら、救いのない話というしかない。

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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班