心が揺れる人間
今の日本では、死刑存置論者と死刑廃止論者が激しい論争を繰り広げている。死刑存置論者による死刑廃止論者への反論によく使われている問いの一つに、「もしあなたの家族や親族が犯罪で殺されても、まだ死刑廃止を主張するのか」がある。
筆者が思うに、いくら死刑廃止論者と言っても、よほどの確信的な人間でなければ、身内の誰かが殺されたり、ひどい目に遭ったりしたら、やはり筆者と同じように、「例外的に、またはこの事件だけは犯人を死刑にしてもよい」と思うことがあるはずである。
逆に、いくら死刑存置論者であっても、よほどの確信的な人間でないと、死刑囚に哀願されたり、脳みそと血が飛び出したりするような執行場面を目の当たりにしたら、筆者と同じように心がどこかで動いて、「他の方法はないのか」と思うことがあるはずである。
今の日本では、国民の8割近くが死刑の存置に賛成しているが、これほど高い死刑支持率を保っているのは、日本での死刑執行は行刑密行主義に沿い、極めて密室的なやり方で行われ、ごく少数の関係者以外には誰も死刑執行の場面や状況を見ることも、知ることもできないからであろう。
もし死刑囚に対する絞首の生々しい場面や過程を一般国民が見聞きできるようになったら、日本での死刑支持率はかなり下がるのではないかと筆者は思う。
このように、我々人間は感情や感覚のある動物である。その感情や感覚は場面によって揺れ動くものであり、また変わるほうがむしろ自然である。筆者は「死刑を廃止すべきである」と思っている人間ではあるが、「死刑は存置すべきである」と言う人間に対しても、その気持ちを理解できるように常に思っている。
文/王雲海
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