わからないけどすごいことだけはわかる小説

豊崎 私、大田さんの小説を読んだときに、この人は現代詩が好きなんじゃないかなと思ったんですよ。現代詩は読まれますか?

大田 現代詩の熱心な読者ってわけじゃないんですけど、すごく興味があります。最近は自分のなかでガザへの関心が強くなってるからSNSでもそればっかり見ちゃってて。するとタイムラインにたまにパレスチナの詩人の詩が翻訳されて流れてくることがあるんすね。

そういうの読むと、めっちゃ心掴まれるんです。遠くで落ち込んでる場合じゃないって思わせてくれる言葉の力、すげぇみたいな感じで。日本に暮らす自分たちとは違う環境や文化のなかから編み出される言葉に圧倒されるんですよね。

豊崎 私はどうして現代の日本人はもっと詩を読まないのかなってずっと思ってるんです。そこに不満があるから、自分が持っている書評の連載ではたまに詩歌を取り上げることにしています。新人の小説家でも、言葉の感度が高くて現代詩との相性の良さそうな人には詩を書いてほしいんですよ。だから大田さんのことも『現代詩手帖』の編集者に激推ししてるところです。

大田 えっ、書きたいっす! 書いてみたい! 日本の現代詩人で言うと、一昨年出た山崎(「ざき」はたつさき)修平さんの『テーゲベックのきれいな香り』って小説がめっちゃ良かったっすね。

豊崎 たしかにいいですね。

大田 あんま理解できてるかわかんないけど、すごく面白かったです。山崎さんは『週刊読書人』の文芸時評で『みどりいせき』をいち早く取り上げてくれたんですよ。それも「この小説には詩情がある」みたいに書いてくれて、やばい嬉しかった。自分が読んですごいと思った小説の作者にそんなこと言ってもらって、感動しました。

豊崎 山崎さんは詩人としてもとても優れた方だから、良かったですね。山崎さんもそう感じたんだと思うんですけど『みどりいせき』を読んだ人はやっぱり文体に魅せられると思うんですよ。自分ではこの語りの声はどこからやってきたんだと思いますか?

大田 この小説はできるだけ読む側と書いてる側の気持ちが離れないように意識しました。書いてる側が見せたいものと読む側が受け取るものの距離を近づけたいなって思ったんです。親近感じゃないですけど、そういう近さを感じてもらいたかったっていうか。

あと、ふだん小説を読むときも音は割と意識するから、それもあったかもしんないです。少し前の『すばる』に載ってた田中慎弥さんと宇佐見りんさんの対談で、田中さんが宇佐見さんは音で書いてるのがわかるって言ってたんですけど、俺もその感覚はわかる気がして、特に口語体だと町田康さんだったり川上未映子さんだったり、最近だと井戸川射子さんも音の作家だと思います。

自分的に『ここはとても速い川』がめっちゃ好きだったんですけど、ポエジーとか音のリズムをめっちゃ感じました。自分が書くときにもそういう音への意識が作用してるのかも。

ただ、正直言うと、ここまで文体にみんな食いついてくれるとは思ってなくて(笑)。そこまでかっ飛ばしたつもりはなかったから、みんなと感覚ずれてるのかなって本が出てからずっと微妙な気持ちになってます。自分なりにちょっと抑えたつもりだったんですけどね。

豊崎 私はけちんぼだからどんな小説も必ず最後まで読むことにしてるんです。最初は波長が合わない小説でも、そのうちに合ってくることってあるんですが、この小説はその瞬間が来るのが早かったんですよね。大田さんは私からしたら「文化的孫世代」みたいなものだから、育ったカルチャーも違うし不安だったんですけど、冒頭を少し読んだところで、これは大丈夫だって思いました。

この小説は「僕」が小学生の頃に野球をしているシーンから始まりますよね。一緒にバッテリーを組んでるエースピッチャーの春のボールを相手のバッターが打ちます。ファールチップになったその球を頭に受けちゃって主人公はそのまま気絶するんですが、その描写を読んで、きた! って感じがしました。大田さん、その場面の最後をちょっと朗読してくれますか?

大田 えっと、ここっすかね。

落ちる直前に、チップをキャッチして揚々と返球する並行世界のぼくと目が合った。そんで時間の連続性は断ち切られ、エントロピーが急減少。たどり着いたのは音も色も、光も闇もない素粒子の世界こんちわ。ここは母宇宙なのか娘宇宙なのか。あるいはバルク。どっちゃ無。からのインフレイション。そしてビッグバン。

豊崎 もうね、何言ってるのかわからないにもかかわらず、「いや、わかる」って感じなんですよ。何を言ってるかわからないけどわかることって世のなかにいくらでもあるんですよね。私だってふだん小説を読んでて全てを理解してるわけじゃありません。わからない小説なんてたくさんあります。だけど、わからないけどすごいってことだけはわかる小説もたくさんあって、この作品もその一つです。

大田 あざっす!!! めっちゃ嬉しいっす。

豊崎 この作品、いわゆる若者のはっちゃけた言葉を使ってのびのびと書いているでしょう。私はこういう年齢なのでわからない単語もいっぱい出てきたんですけど、実は調べなくても読んでいくとわかるようになってるんですよね。かといって、大田さんがそれをいちいち作中で説明するわけじゃないんです。そこがいいんですよ。説明なんて絶対しちゃいけないわけです。小説としてもったりしてくるから。

例えば、最初の方で春がペニーに乗ってる場面が出てくるでしょ。私、ペニーって何か知らなかったんです。だけど、しばらくして、春の友達のラメちがスケボーって言葉を使うんですよね。すると春が「ペニーな」って訂正する。それで、あっ、スケートボードの一種なのかってわかるわけです。年配の人間には通じにくい言葉でも読み進めていけばある程度わかるように、割と計算ずくで書かれた小説じゃないかと思ったんです。

大田 わからないものはわからないものとしておこうと思ってるんですけど、少しはわかってもらおうって気持ちはあんのかもしんないですね。

豊崎 それにぜんぶわからなくても、この子たちだってノリで喋ってるわけだから、読者もノリで文章に乗っかっていいわけです。

大田 保坂和志さんが「小説は“読んでいる時間の中”にしか存在しない」とおっしゃってて、つまり、小説を読むことってその表現や構造を読み解いたり、書かれていることの裏にあるものを考えたりすることだけじゃないらしいんですよね。本があって、それに向かい合ってる人がいれば、そこに読書って行為がある。

そんとき、別に本の内容をぜんぶ理解できなくてもいいし、読みながら内容と関係ないことを考えたりするのも読書体験だって。だから俺も、何書いてるかわかんなくてもただ文字を追ってるだけで面白いみたいな小説を書きたいと思ってます。

『みどりいせき』は“変”な小説

豊崎 今のお話を聞いてても、大田さんって文体家なんだなと思います。最初は勢いで書いたふしがあるけど、それを少しずつ直して、調子を作ってるっていうか。例えば、次の箇所。

水中の気泡が深いとこから浅いとこへと昇ってくよーに、死体に充満したガスがぼくを浮かびあがらせた。そんでぼんやりな意識が息継ぎみたいに水面から頭を出す。あー、まだ生きてることとか昼寝が気持ちいいとか当たり前のことに肺が膨らんで、肺胞に取り込まれた喜びみたいなのが血液に乗って全身を巡り、ぼくは息を吹き返す。じゅうぶんに満足したら息を止める。また潜水する。

全体的にこの小説の素晴らしさって、主人公が沈静したときの精神の状態とかその瞬間瞬間の身体感覚とか、そういうことを巧みに文体の変化で表現していることにあるんですよ。それってとても難しいことなんだけど、デビュー作にして大田さんがやり切ってるのは、本当にすごい。

その白眉がみんなで大麻をキメるシーンです。あの感覚描写を平仮名で押し切ってますよね。最終的にタイポグラフィーみたいに文字の配列を換えたりもしてて、あそこからは「ぼく」の高揚感がありありと伝わってきました。ただ、それだけじゃなくて、ところどころでお父さんのことを思い出したりして、正気の部分がどこかにあることもちゃんと書き込んでいる。

大田 薬物による変性意識は深層心理の顕在化と捉え、正気を残しました。

豊崎 そう。その正気の混じらせ方も素晴らしい。何よりこの作品は全体的に“変”なんですよ。私は“変”なものを見つけると、まず尊敬するんです。なぜってそれは自分にはないものだから。“変”なものは自分の価値観の埒外にあるもので、好きとか嫌いとか関係なくそれを見つけた自分のことを深く揺り動かすんです。私は『みどりいせき』のページをめくっていたとき、これはすっごい“変”だと思ったから安心して読めたんです。

大田 わわっ、ありがとうございます。

豊崎 だって、普通の感覚だったら“変”なものって書けないんですよ。常識とか理性が制御しちゃうわけで。でも、この作品はそういったものとせめぎ合いながら生まれた感じがして、それがとても良かった。

大田 ごみ収集の仕事をしながら書いてたんですけど、そこへ転職する前の会社では一応、社会と折り合いつけようと思ってたんです。でも、肉体労働の業界って割と自由でおおらかで。一緒に暮らしてるパートナーも、遊んでくれる友達も、もともと自分の自制心の無さを受け止めてくれるタイプで、周りにいるのがだらしない自分のありのままの姿を受け入れてくれる人たちばっかなので、感覚がぼけちゃって、それが書いたものに反映してるのかもしんないですね。

豊崎 なるほどね。自他の境界が曖昧な感じなんですね。

大田 そうなっちゃいました。もし変だったら声かけて、みたいな感じでふだん過ごさせてもらってるんで、ふわふわしたものを書いてても自分で気づかないのかも。それくらい自由に生きさせてもらってます(笑)。

豊崎 あと、特徴的なのが擬音。この小説は擬音が多いんですよ。

大田 それは結構自覚的に書きました。子どもたちの話だから、語彙を選ぶのがやっぱ難しいんですよ。擬音じゃなく端的に表現できるところはたくさんあるんですけど、この主人公の言葉遣いじゃないよなって。あと、コロナ禍が始まってから、自分、なんかわかんないんすけど、言葉が全然出てこなくなって。擬音で喋ってることが多いんです。そういうのも反映されてるんだと思います。言ってみたらコロナ禍文学ですね(笑)。

豊崎 コロナ禍文学にもいろんなものがありますからね(笑)。

1961年愛知県生れ。書評家。主な著書に『時評書評──忖度なしのブックガイド』、『まるでダメ男じゃん!』、『ガタスタ屋の矜持』、『ニッポンの書評』、『正直書評。』、共著に『百年の誤読』、『文学賞メッタ斬り!』シリーズなど。
1961年愛知県生れ。書評家。主な著書に『時評書評──忖度なしのブックガイド』、『まるでダメ男じゃん!』、『ガタスタ屋の矜持』、『ニッポンの書評』、『正直書評。』、共著に『百年の誤読』、『文学賞メッタ斬り!』シリーズなど。
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