CMが広めた「麻婆豆腐の素」

麻婆豆腐はなぜ、ここまで日本の食卓に定着したのか? 1959年料理番組で初めて「マポドウフ」と紹介された四川料理が“テレビの申し子”といえる所以_2

麻婆豆腐のレシピがテレビの料理番組を通じて広まっていった頃は、餃子に欠かせないラー油も浸透していった時期と重なる。エスビー食品から「中華オイル」として市販のラー油が発売されたのは1966年(昭和41)である。

また同時期、トウガラシを使った洋風調味料であるタバスコも普及した。タバスコが日本に初めて伝わったのは戦後の昭和20年代で、本格的な輸入が始まったのはピザやスパゲティが広まった昭和30年代以降だ。

じつはタバスコをピザやスパゲティにかけるのは、日本独自の使い方だ。本場アメリカではスープの隠し味、ステーキやドレッシングの調味料に使われることが多い。

タバスコの歴史を追った読売新聞1993年(平成5)8月19日朝刊の記事では「スパゲティにかける日本独特の食べ方は、当時タバスコの輸入・販売を手掛けていた赤峰俊氏(故人)が、苦心の末に考え出したといわれる」と記されている。

新しいトウガラシの調味料が、昔なじみの七味唐辛子と同じように「振りかける」という使い方によって受け入れられたというのは興味深い。

ラー油もしかりだが、これまでと同じ感覚で料理にあとからアクセントとして使う調味料の普及が、麻婆豆腐よりもひと足先にトウガラシの辛さへの抵抗感を薄れさせた面もあっただろう。

その後、麻婆豆腐をさらに広めたのは、1971年(昭和46)に丸美屋から発売された「麻婆豆腐の素」だった。

日本初のレトルトカレー「ボンカレー」が大塚食品工業(現・大塚食品)から発売されたのは1968年(昭和43)だ。ときはインスタント食品が花開いた時期である。すでにいくつかの中華系のインスタント調味料が売り出され、市場に受け入れられていた。

日本缶詰協会(現・日本缶詰びん詰レトルト食品協会)発行の業界誌『缶詰時報』1971年8月号には、「江崎グリコ、ミツカン、タマノ井酢に代表される酢豚の素は4年前ころから売出されたが、最近はすっかり定着した商品となっており、メーカーの地道な実演販売などで浸透をみた」とある。

酢豚の素の成功に乗って八宝菜の素も登場し、さらに「このところ麻婆豆腐の素がミツカン、丸美屋、常陸屋本舗などから売出され、中華風の粉末調味食品が賑わいをみせている」と多様化する市場の活況ぶりを伝えている

丸美屋が売り出したのはひき肉入りの濃縮ソースと、とろみ粉を個別にパックしたもの。他社がどのような商品だったかはわからないが、先駆けとして今に伝わるほど丸美屋製品が有名になったのは、いち早くテレビコマーシャルを打ったからだろう。