「井岡二世」と呼ばれた挑戦者

ここで視点を少し桑原に移す。小学生からボクシングを始めた桑原は国体優勝などのアマチュア実績を引っさげ、大学卒業後に大手の大橋ジムに入門。大阪の興国高校から東京農業大学というアマチュアボクシングのエリートコースは4階級制覇の現世界王者・井岡一翔と同じで、「井岡二世」とデビュー当時から注目された。

第47代OPBF東洋太平洋フライ級王者・桑原拓 写真:山口フィニート裕朗/アフロ
第47代OPBF東洋太平洋フライ級王者・桑原拓 写真:山口フィニート裕朗/アフロ

しかし、井岡とは決定的に違う点がある。大学を中退していないことだ。井岡に限らず、東京農業大学は中退してプロ入りする選手が少なくない。一方で桑原は、自分も中退すると高校の後輩の推薦に影響することを配慮して、4年次には主将を務めながら大学を卒業したと伝え聞く。

筆者は一度だけ、別の選手の取材で、練習中の桑原に会ったことがある。サンドバッグを打ちながらこちらを振り向き、少し離れたところで立っている筆者に笑顔をみせ、大きな声で挨拶をしてきた。「こういう選手は、応援してくれる人が多そうだな」と率直に思った。

岡山出身の阿久井と大阪出身の桑原は同じ1995年生まれ。高校時代は全国大会で同階級の選手としてお互い意識はしていたが、対戦はなかった。初めての対決はプロ入り後、ともに26歳を迎える年だった。その時は先述の通り、故郷大阪を離れて名門ジムに入った「井岡二世」の夢を、故郷・岡山に残った日本王者・阿久井が打ち砕いた。