箱根駅伝に見られる日本の「全身社会」アイデンティティ

三宅   そういえば、私は部活社会的な雰囲気を感じてしまうので、いまだに箱根駅伝が見れないんです。つらくて。

水野   じゃあ、甲子園とかも?

三宅   全然見ない。

水野   ばっさり切られた(笑)

三宅   高校生や大学生が、全身で頑張っているのを大人が喜んでるのがなんだかつらすぎて、見れないんですよ。

水野   考えたこともなかったな。僕はどちらかというと、そういうことに順応してきて生きてきたから……

三宅   真逆だ! 「アマチュアが全身全霊で頑張って夢を手に入れる」って日本人的な立身出世の夢だし、日本人のアイデンティティに近いところにあるものかなあ、とも思うのですが。
でもやっぱり全身全霊でずっと頑張れ、なんてどこかでガタが来てしまうんじゃないか。新書の結論にも書いてますが、今はそう考えています。だからこそ、働きながら文化的なことを続けていける社会のほうがいいんじゃないか、と。

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『花束みたいな恋をした』で感じた文化への視線

水野 ちょっと話逸れますけど、『花束みたいな恋をした』(『花こい』)が上映されたとき(2021年)に三宅さんのSNSでの荒れっぷりがすごく印象に残っていて。この本でも冒頭から最後のほうまで、かなりこの作品について言及されていますよね。

三宅 私は、2024年になっても「花こい」の話をし続けますよ(笑)

水野 あの映画のどういう部分に食いついたんですか?
 

三宅 今までの話につながるところかな。主人公の麦はカルチャーが好きで、働きながらイラストレーターを目指そうとしているけど、いざ働きはじめると本や漫画やゲームに関心を示さなくなって、イラストも描かなくなってしまいますよね。その描き方に、ちょっといじわるな目線があるのではないかと。それこそ、「半身」とか言ってる場合じゃないんだ、みたいな目線。

水野   マッチョな感じというか?

三宅   そうです。「そもそも、ユースカルチャーとか本気で好きじゃなかったんじゃん、君たち」みたいないじわるさが映画に見え隠れしているような気がする。でもそれって文化的な仕事をできてる人の傲慢じゃない? と感じます。
 
水野   自分の隠してる根本の部分をつかんできてる感じがあるわけですね。

三宅   そうですね。だから、文化的仕事へのスタンス、みたいなところでざわついたって感じです。

「ワーク読書バランス」をどのように担保するか

三宅 『花こい』でも描かれていましたが、働きながら文化的な趣味を続けるのは、今の社会だと本当に難しい。
「ワークライフバランス」ならぬ「ワーク文化バランス」を、どうしたら健全にいとなんでいけるのか。それは自分の世代が考えるべき課題なのかな、と思うんですよ。私は1994年生まれですが、景気もそこまで上向きではない中で働き方が変わってきた時代。私より上の世代は働き方改革をすることで精いっぱいだと思うんです。

水野 管理職は、もう大変そうですよね。

三宅 だから、自分たちの世代が「働いてても人生は楽しいんだ」と下の世代に言えるようにするべきではないかなと、ぼんやり思っていて。

水野   すごい責任感だ。人生で、僕はまだ下の世代のことを考えたことがない(笑)

三宅    私が、水野さんよりも少し年上だからかもです(編集部註:三宅は1994年の早生まれ、水野は1995年生まれなので2学年差)。でも、働いてると楽しくない、みたいな思い込みは良くないと感じませんか!?

水野   「仕事が楽しい」というだけじゃなくて、仕事以外の部分も十分に楽しめるぐらいの余裕があって、人生としての総和がある程度楽しくなればいい、ということですよね。 

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