「ドツボにはまっている」という感覚

近年、多くの研究が白人によるレイシズムに注目しているが、ハージはそれをこの「ドツボにはまっている」という感覚とそれが引き起こす嫉妬心に結びつけて考察している。それが「移動性への妬み」というものだ。これは空間的な移動についてだけ言われているのではなく、社会的階層を上昇するといったような実存的、象徴的な移動についても当てはまる概念である。

白人レイシストの隣の家に引っ越してきた移民の例を見てみよう。移民は最初オートバイを購入する。しかし、そうこうするうちに、オートバイはそれほど高価ではない自動車に変わる。それを見た隣人のレイシストは憤慨する。なぜか。

自動車そのものを妬ましく感じているわけではない。というのも、自分のほうがもっと良い自動車を持っているのだから。彼(女)は「自分たちが同じ場所で行き詰まっていると感じているときに、隣人がバイクから自動車に乗り換える、ということが含意する移動性を妬んでいるのだ」(ガッサン・ハージ『オルター・ポリティクス──批判的人類学とラディカルな想像力』塩原良和ほか訳、明石書店、2022年、72‐73頁)。

ここでは移民の社会階層的な上昇(移動)が、自分たちのうまくいかなさを際立たせ、レイシストの嫉妬をかき立てているのだ。

社会的に優位な位置にいるはずのマジョリティが、自分より不利な位置にいるマイノリティの成功を妬むのはなぜか?_1
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これは、私たちのこれまでの議論の用語で言えば、「劣位者への嫉妬」と考えることもできるかもしれない。社会的に優位な位置にいるマジョリティが自分より不利な位置にいるマイノリティの成功を妬むのは、その差が縮むことによって、おのれの幸福感や安心感が脅かされるからである。

レイシストもまた、マイノリティとの距離が縮まることによって自分が安全圏にいるとは思えなくなる。だからこそ、彼らが前進していることを耐えがたく感じるのである。