「原初状態」とは何か
すでに述べたように、ロールズは公正な社会の正義原理を探究するために、「原初状態」というアイデアを採用している。それによると、原初状態において、人びとは「無知のヴェール」を被る。このヴェールのもとでは、人々は社会の一般的事実(たとえば、お金は少ないよりできるだけ多くあったほうがよく、人生で多様な選択肢が可能になるといった一般的なこと)については知っているが、社会における自分の立場を知らないものとされる。
そのため、人々は何が自分にとって有利/不利であるかを知らず、したがって諸個人は、社会的基本財が公正に配分されるような原理を選択するだろう、ロールズはそう推論する。
これだけではあまりに抽象的であるため、イメージが難しいかもしれない。具体的に考えてみよう。ロールズのねらいは、どのような状況であれば、当事者たちは正義の諸原理に合意できるのかを特定することだ。
かりに裕福な家庭に生まれた健康な人と、社会的なマイノリティ集団に属し、健康にリスクを抱えている人では、当然どのような社会が望ましいかにかんして、双方が納得できるような結論は得られそうにない。
前者にとっては、社会保険料を抑え、なるべく税金の負担の少ない社会が好ましいであろうし、後者にとっては社会保障が充実した福祉に手厚い社会が望ましいだろう。あるいは子育て真っ最中の人と、すでに子育てを終えた人(もしくは子どもを持たない人)とのあいだにも、国の子育て支援のあり方をめぐっては著しい見解の相違があるに違いない。
人々が有限な資源をどのように分配するのが望ましいと考えるかは、その人が置かれた状況に大きく左右される。
こうした状況を踏まえて、ロールズの無知のヴェールをめぐる議論は、個人の境遇についての知識をいったん括弧に入れた状態で、人々がどのような社会の原理を選択するかについての思考実験である。
そして彼の考えでは、人々は「マキシミン原理」(最悪の状況のときに得られる利益が最大になるような選択肢を選ぶ)にしたがい、正義の原理を選択するとされる。
ざっくり言ってしまえば、人々は、たとえ社会的に不利な立場に陥ったとしても、ほどほどの生活水準が保障されるような社会が望ましいと考えるはずだ、ということである(ここではこれ以上、原初状態にかんする議論に立ち入るつもりはない。詳しくは齋藤純一・田中将人『ジョン・ロールズ』〈中公新書、2021年〉を参照されたい)。
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