正義と嫉妬

ところで、「正義とは何か」というテーマは、政治思想や政治哲学でとても活発に議論されてきたトピックである。そこでは、様々な境遇にある人々や多様な価値観がひしめく現代にあって、どのような社会が公正かつ望ましいのか、より具体的には財をどのように分配するのか、税は誰がどの程度負担すべきかなど、概して正義にかなった社会についての規範的な議論が展開されてきた。

だが、正義や平等は嫉妬心の隠れ蓑でしかないのではないかという上記の疑念は、そうした論争に冷や水を浴びせるものだろう。こうした不穏さのために、嫉妬感情は多くの社会科学や政治哲学で抑圧されなければならなかったのではないか、そのようにすら思える。

しかし、この沈黙には例外がある。アメリカの政治哲学者であり、正義論の大家でもあるジョン・ロールズは、嫉妬が持つ威力に鋭く気づいており、この感情について議論を割いている。それでは、正義論は嫉妬をどのように扱うことができるのか。

このことを考えるために、本章ではロールズの嫉妬論を検討する。結論を先取りして言えば、私たちが見るのは、この感情を無害化し、それをアク抜きしようとするロールズの姿である。

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ロールズの『正義論』

ジョン・ロールズ(1921・2002)は、アメリカのハーバード大学で長く教鞭をとった政治哲学者である。1971年に刊行された『正義論』は、それまでの政治哲学のあり方を刷新するほどの影響力を持ち、50年以上経ったいまなお同書をめぐって様々な議論が活発になされている。

ロールズについてあまりに多くの論考が書かれたことから、その趨勢はしばしば「ロールズ産業」と揶揄されることもあるほどだ。大学の政治学の授業では、『正義論』が引き起こしたインパクトとその余波をめぐっては必ず言及があるはずである。

ロールズの『正義論』と言えば、やはり「原初状態」や「無知のヴェール」、あるいは「格差原理」といった言葉がよく知られるだろう。確かにこれらはいずれもロールズが公正な社会を論理的に導出するために不可欠な考え方であり、多くの議論を呼んだことは事実である。

他方で、これらと比べるとあまり人目を惹かないものの、ロールズの『正義論』には嫉妬について二つのセクションが割かれている。第80節「嫉みの問題」および第81節「嫉みと平等」のことである。なぜ嫉妬なのか? じつはロールズは、社会における人々の嫉妬感情が、彼の正義の構想を台無しにしかねないことを恐れている。

そこで、この感情について検討し、その懸念を払拭しようというわけだ。だが、これから見るように、その目論見はあまりうまく達成されていない。それどころか、嫉妬の問題は依然としてロールズの議論の急所になっているように思われるのだ。

それでは、ロールズの公正な社会において嫉妬感情はどのように位置付けられているだろうか。そして正義の構想は、この破滅的な感情をうまくコントロールできるのだろうか。