私的な事柄が露出される時代

こうした誇示の状況は、精神分析理論家の立木康介が「私的領域が露出されてやまない時代」と表現したものと呼応している。立木によれば、現代とは、従来であれば秘すべきであった私的な事柄が公的に露出されるような時代にほかならない。

その象徴的なエピソードとして語られるのは、イタリアの首相であったシルヴィオ・ベルルスコーニとその妻ヴェロニカである。

2009年の5月のある日曜日、メディアの紙面に「ヴェロニカの決意さよならシルヴィオ」、さらに「ヴェロニカ、シルヴィオにさよなら私は決めた、離婚を要求するわ」といった文字が躍ったのだ。これについて、立木は次のように言う。

もっともプライヴェートであるはずの決断が、もっともプライヴェートであるはずの段階で、あからさまに、無遠慮なまでに、不特定多数の耳目に押しつけられたのだ。いうなれば、ベルルスコーニ夫妻において、私的領域は秘められるべきものから露出すべきものへと変質したのである。(立木康介『露出せよ、と現代文明は言う』河出書房新社、2013年、11頁)

ベルルスコーニ元イタリア首相
ベルルスコーニ元イタリア首相

現代では、多かれ少なかれ、誰もが私的であったはずのものを公的空間に垂れ流している。これは個人の内面、いわば心についてもそうである。

立木は人々が心の闇をさらす社会を無意識が衰退した社会と捉えるが、これもまた誇示の民主化の一つの帰結と見ることができるだろう。