発酵とは時間を味わうことなのだ

地産地消もこのレストランの特徴で、野菜のほとんどは鎌倉農業連合販売所で入手する。その日の朝に仕入れた新鮮なトマトを、一年ほど瓶の中で寝かせて発酵したトマトと合わせる、そんなことをやりたいのだと藤井さんはいう。

時々、発酵と腐敗は紙一重ともいわれる。そもそも発酵とは、麹カビや酵母、各種の菌などの微生物によって食材を変化させること。それが私たちにとって有益な場合は発酵となり、有害な場合は腐敗となる。日本人にとって身近な発酵といったら、味噌、醤油、納豆などがある。きっとそこに辿り着くまで、昔の人たちの失敗がたくさんあったに違いない。

トマトコーラの正体とは? 発酵に魅せられたシェフが鎌倉で供する、時間を味わうような「おいしさ」〜小町通りのenso_4

発酵とは時間を味わうことなのだ。

時間という格別の調味料をまとった食材は、鮮度の良さとは違う個性があって、角のないまろやかさを醸し出す。その食材の魅力をより深く追求できる味わい、といったらいいだろうか。きっと人間も同じだと思う。腐敗ではなく、発酵された中年を目指さなければね。

そして、エンソウの地産地消、地元にこだわったセレクトは食材だけにあらず。食後のコーヒーに使われているのは大磯の「ビーンズマート オイコス」によるオリジナルブレンドだ。かつてオイコスにハマって、取り寄せてきた時期があるので、なつかしくうれしかった。
和のハーブティーは鎌倉の「今古今」がこの店のために調合したもの。黒豆、よもぎ、シナモン、カルダモン、ジンジャー、月桃の葉がブレンドされた「黒豆スパイスチャイ」なんていうのもある。主張が強すぎないのに個性があって、藤井さんの料理によく合う味だ。ノンアルコールのドリンクが充実しているのも「エンソウ」の個性で、自家製の発酵ドリンク「白葡萄 大葉」は開業以来の人気の一杯。


白葡萄と大葉の自家製発酵ドリンク

白葡萄と大葉の自家製発酵ドリンク

珈琲のパンナコッタと完熟バナナソルベ
珈琲のパンナコッタと完熟バナナソルベ

場所は小町通りから少し奥まった小道にある。うまく改装された古い日本家屋で、ここはかつて置屋だったそう。鎌倉にもその類のところがあったとは意外だったが、小町通りに住んでいた友人は、子供の頃にそれらしき女性を見たことがあるという。
夕暮れ時、着物を着て、厚化粧をして、ため息をつきながら傘を振り回し、小町通りを鎌倉駅に向かって歩いていたのだとか。会社の保養施設などが点在し、接待の場所も多々あっただろうから、さもありなんともいえる。

かつては置屋だったという
かつては置屋だったという
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鎌倉という街もまた、時間という調味料をまとい、発酵されている途中なのかもしれない。

撮影・文/甘糟りり子

鎌倉だから、おいしい。
甘糟りり子
100種類近いアラカルトを好きなように楽しめるオステリア…究極の普段使いのレストラン「コマチーナ」_10
2020年4月3日発売
1,650円(税込)
四六判/192ページ
ISBN:978-4-08-788037-3

この本を手にとってくださって、ありがとう。
でも、もし、あなたが鎌倉の飲食店のガイドブックを探しているのなら、
ごめんなさい。これは、そういう本ではありません。(著者まえがきより抜粋)

幼少期から鎌倉で育ち、今なお住み続ける著者が、愛し、慈しみ、ともに過ごしてきたともいえる、鎌倉の珠玉の美味を語るエッセイ集。
お屋敷街に佇む未来の老舗(イチリンハナレ)、自営の畑を持つ野菜のビーン・トゥー・バー(オステリア・ジョイア)、カレーもいいけれど私はビーフサラダ(珊瑚礁 本店)、今はなき丸山亭の流れをくむ一軒(ブラッスリー・シェ・アキ)、かつての鎌倉文士に想いを馳せながら(天ぷら ひろみ)……ガイドブックやグルメサイトでは絶対にわからない、鎌倉育ちだから知っているおいしさと魅力に出会える1冊。
素材が豪華ならいいというものでもない、店の内装もまた味わいの一端を担うもの、いいバーとバーテンダーに出会う喜び……著者自身の思い出や実体験とともに語られる鎌倉のおいしいものたちは、自然と「いい店」「いい味」ってこういうことなんだな、という読後感をくれる。
版画のように精緻なタッチで描かれた阿部伸二によるイラストも美しく、まさに読んでおいしい、これまでなかった大人のための鎌倉グルメエッセイ。
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