都合のいい武器
では、かの国の法制度が――1周遅れて追随することも少なくない、日本も含めて――正義と公正を取り戻すためには何が必要なのだろうか。レイコフは、行政権と立法権に正面から対抗できる実際的権限を求め、司法にかかわる専門家たちを信頼してほしいと切望する。
その気持ちは理解できる一方、少なからぬ専門家たちが司法を「自らに都合のよい武器」として取り扱っている実態も捨て置けない。近年の注視すべき具体例としては、師岡康子(弁護士)を始めとした司法の専門家たちによる「ヘイト・スピーチ」をめぐる議論の手口が挙げられるだろう。
彼らはしばしば言う。「『米軍出ていけ』という言葉は、ヘイト・スピーチには当たらない」。この手口には、二重の不誠実さがある。ひとつは恣意的な比較だ。
先に触れた師岡は著書『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書)の中で、自身が共感を寄せる在日朝鮮人という存在に対して向けられた言語表現の一例として〈ゴキブリ朝鮮人〉【10】を挙げる。このフレーズを読んだ者は誰しも、胃の底がむかつくような憤りの感情を覚えるに違いない。それは酷く、醜い言葉であるからだ。
その一方で師岡は、自身が共感を覚えない在日米軍や政治的関係者に向けられた言語表現の一例として〈米軍出ていけ〉【11】というフレーズを挙げる。〈ゴキブリ朝鮮人〉と〈米軍出ていけ〉。誰がどう見ても、悪質なのは前者だという印象を受けるだろうが、これは文字通りの印象操作である。
言葉のすり替え
師岡らは〈米軍出ていけ〉と叫ぶ人々が、同時に〈人殺し〉【12】や〈お前らは犬だから言葉は分からない〉【13】とも叫んでいることを知りながら、知らぬふりを決め込む。〈ゴキブリ朝鮮人〉と〈お前らは犬〉。ゴキブリにも犬にも礼を失した愚かな比喩だが、双方の愚かさと醜さは、これなら釣り合いがとれるかもしれない。
ふたつめの不誠実さは、この同じ穴のむじなの論点をズラし、〈お前らは犬〉だけをなかったことにする手口を指す。似た者同士だと双方を非難する者に対して、師岡らは「日本における米兵や機動隊員はマイノリティではないので、彼らへの非難はヘイト・スピーチには当たらない」【14】と主張するのだ。
これは、言葉のすり替えとしか思えない。そもそも、両者を非難する者たちが使っている「ヘイト(・スピーチ)」は、法律用語としてのヘイト・スピーチを指すのではなく、一般表現としての「憎悪に基づく言葉/尊厳を傷つける醜い言葉」を意味している。その道徳的問いかけに対して、師岡らは法的解釈のみを回答しているからだ。
誤解ではなくすり替えという形で、師岡らはヘイト(・スピーチ)という言葉に付随する「一般表現としての側面」を捨象し、ヘイト(・スピーチ)という言葉を「法律用語としてのヘイト・スピーチ」だけに限定し、特権化しようと試みている。その狙いが、ヘイト(・スピーチ)という言語表現の独占にあるとしか考えられない実態に、評者は危機感を覚える。