「自由に、と言われても……」
加えて、さらなる理由は、「自分でやりたいようにやらない」です。「やれない」ではなく、「やらない」なのがポイントです。高学歴は、自分の意思や自分のやりたいことよりも、周りが求めることをしたいと考えてしまう傾向があるのです。
例えば、僕はよく東大生たちからこんなことを言われます。
「西岡さん、自分は何をすればいいですか?」
「どんな仕事をすればいいですか?」
と。まあ普通の言葉だと思うのですが、しかしこの言葉をかなりの場面で、それこそ「自分で判断してほしいとき」にも、使ってきます。
Aくん 「西岡さん。7日に取引先に提出する予定のファイルなんですが、西岡さんもチェックしてください」
僕 「え、あのプロジェクトは君に任せているから、別に僕のチェックは挟まなくていいよ。でも、聞きたいことがあるなら今聞くよ」
Aくん 「いえ、聞きたいこととかはないのですが」
このように、上司の立場からすると「自由にやっていいよ」「そっちの方が楽しいと思うよ」という意図で投げた仕事に対して、高学歴が「自由に、と言われても……」と細かい指示を求めてくる、そんな場面は多々あります。これも「高学歴はずっと優等生だったので、怒られるのが怖い」という議論に通じます。
もちろん一定レベルでのディレクションは上司がやる必要があるものですが、しかし度を超えて上司に相談し、自分で判断しようとしないことがあるのです。そうなると、「言われた仕事」をずっとやることになります。
多くの人が「仕事が楽しい」と思える瞬間って、「仕事における裁量が与えられて、自分で自由に仕事を動かすことができるとき」だと思います。人から与えられてそれを全うするだけだと、タスクを処理するような感覚になってしまい、短期的には楽しいかもしれませんが、でもずっと続けていたら退屈ですよね。
にもかかわらず、その「仕事が楽しい」と思える瞬間を放棄して、上の人に意見を求める高学歴が実はたくさんいるのです。
なお、この特徴は「プレイヤーとしてはとても優秀なのに、マネージャーとしての能力がなかなか育たない」ということを意味します。言われた通りに手を動かすばかりで、自分から「もっとこうした方がいいんじゃないか」ということを考え、人を動かしたりすることがない、ということです。