黒歴史か伝説の序章か…卒業文集の是非
この卒業文集を書いた男性は卒業後に〈どんだけ鯉触ったの楽しかったんだ〉と過去の自分にツッコミを入れているが、魚が好きなことは現在も変わっておらず、今ではすっかり魚釣りが趣味になったそうだ。はからずも、この卒業文集は、自分のライフワークの原体験がつづられた貴重な記録になったというわけだ。
ひとつが、卒業文集だ。誰もが一度は文集になにかしら書いたことがあるだろう。しかし、卒業文集は近い将来、消滅して過去の文化になっていくかもしれない。その背景には、小学校教師にとってあまりにも大きすぎる負担が関係しているようだ。
まずは、実際の卒業文集を少し紹介したい。子どもが学生時代に書いた作文は実に個性豊かで、あとで読み返してみると、思わず笑ってしまうほどおもしろかったり、黒歴史になってしまうほど恥ずかしかったりもする。
大人顔負けのユーモアセンスを炸裂させていたのが、こちらの卒業文集の作文だ。「今、僕は卒業文集を書いているところだが、正直に言うと書く事がなくて困っている。」という文章からはじまり、卒業文集を書いている今そのときの「気持ち」をつづっている。
そしてそのまま現在の心境をひたすら書き続けたのち、最後は「もう用紙がないので終わり」と、文集の文字数制限を逆手に取って、文章を締めている。
X(旧Twitter)の文字数制限のように卒業文集の文字数制限を利用して、卒業文集を書くことの“持て余し感”を見事に乗り切っている。
ちょっと変わった卒業文集はほかにもある。序盤は、修学旅行で訪れた日光江戸村に関する思い出の話だが、次第に鯉を触ったときの感動をひたすらつづる文章になっていく。鯉の口の中に指を入れたときの感触を生々しく書き、最後はもはや、鯉のことしか書いていない。
有名人では、イチローや本田圭佑が卒業文集で夢をつづり、その夢を実現していることが伝説の序章となるなど、一見すると卒業文集には楽しい面しかないようにも思える。
しかしその裏では、教師たちが莫大な負担を課せられているといった側面がある。
廃止にせざるを得ない卒業文集の裏事情について、静岡県・浜松市で小学校教員を務める男性は「廃止になると正直ありがたい」と吐露する。今年度6年生の担任を受け持った彼は、卒業文集のあり方について同じ学年の先生方とも話しあったという。
大まかにいっても、7つもの問題点が文集を作るうえで存在すると話してくれた。