陰キャでコミュ障の私にとって芸能界は救いだった

──今回の写真集は「デビュー20周年記念」という節目でもありますが、改めて振り返ると、20年間の芸能生活はいかがですか。

私はできないことのほうがずっと多いし、根っからの陰キャでコミュ障だし、運動も勉強もできないし、この仕事を20年もやっているのにいまだに「笑顔が下手くそ」って言われるし、本当に完璧とは程遠い人間なんです。だけど、小さい頃から絵を描くことが好きで、漫画やアニメや歌が大好きで。

デビュー20周年の中川翔子が語る「芸能界は私にとって救いだった」_2

学校生活ではそういう自分をなかなか出せなかったけど、芸能界に入ってからは、溜め込んでいたいろいろな好きなものがお仕事にもつながって、たくさんの方から「私も好きだよ」と言ってもらえたり、すべてが無駄じゃなかったって思えるようになったんです。

今でも人前に出ることが得意なわけではないし、同じ世界にいる素敵な芸能人の方に比べると至らないところだらけなので。これが天職だって胸を張って言えるかはわからないけれど、それでも私にとって芸能界は救いであり、やっと息ができるようになった場所なんです。

できないことのほうが多いはずなのに、日々いろんなことに挑戦して、毎日やっていることも違うし、しかもそのすべてが楽しいって、一体何なんだって。

──「根っからの陰キャでコミュ障」を自認する中川さんが、芸能界で生き生きと活躍されていることの意義は大きいと思います。

私がデビューした20年前は、芸能界に限らず、世の中的にまだまだオタクが虐げられている世界だったんですよね。今でこそ、ネットのトレンドがアニメの話題だらけになったり、陽キャこそが漫画やアニメを観るようになりましたけど。

当時はオタクのなかでも硬派な方が、もはや開き直ってオタクを公言しているような時代でした。私はそんな時代に10代を過ごしながら、こんなにも素晴らしくて誇り高い文化なのに、どうして影でこそこそしなきゃいけないんだろうって、ずっと思っていたんです。

デビューしたあとも、もちろんすぐにうまくいったわけではなく、グラビアも続かなかったし、バラエティでもうまく振る舞えないし、まわりの人たちみんなができることが全然できなかった。時には「あの子はオタクだし、芸能人は向いてないからやめたほうがいい」って言われたこともありました。それでも「もうちょっと待ってください!」って引き止めてくれたマネージャーさんがいて、その方がブログをすすめてくれたんです。