最初の就職先でマッチョな上司の圧がつらかった時、読み返して励まされたのは労働問題についての本ではなく、『書きあぐねている人のための小説入門』だった。
人間の思考というのは、どうしても直接の経験を拠りどころにしているため、それを乗り越えられないという欠点というか限界がある。
私たちは、“私”“人間”“世界”というものを誰も見たことがない。
人間が人間として心の底から知りたいと思うことは、すべて外から見ることができない、つまりその外に自分が立って論じることができない。それを知ることが哲学の出発点であり、これは小説もまた完全に同じなのだ。
私の「つらさ」の半分くらいは、目の前の人間関係とプレッシャーに自分が完全に囚われてしまっていること、心が死んでいくのが分かりながらそこから抜け出せない体の重さ、開かれた存在としての「私」が失われる感覚だったと思う。そんな時期に本書のⅡ章を読み、目の前のひどい上司や仕事にすべての気力を奪われているのは、それが私の経験しているものだからであり、私のダメさや貧しさゆえではないのだと知った。
私は私の生の外側に立つことはできない。一見救いがない言葉のようだが、つらい自分もたしかに自分であると肯定された気がした。すると、次の行動のための力が少しずつ出てきた。小説を書くつもりのない人にこそ薦めたい。
あなたの直面している「圧」は、令和の現在では裁かれるべきハラスメントかもしれない。まずはスマホでの録音やメール・LINEなどの記録をとっておくと役に立つ。もしのちに証拠として使う際も、無断で記録しておいて問題ない。
そして「おかしなことに声をあげる」というイメージがつかめない時は、『彼女の名前は』を読むとよいと思う。
日本ではいまだに、声をあげる個人や集団が物語上でステレオタイプに表象され、どこか冷笑的に、匿名化され他者化されている。
だが、現実に目の前の理不尽に声をあげているのは、誰かの母親だったり、隣に住むおばあちゃんだったり、あるいはもう後輩を同じ目に遭わせたくないと決心したあなたのような人だったりする。『82年生まれ、キム・ジヨン』の著者が書いたこの短編集では、声をあげる人びとにも多様な物語があり、表情があり、名前があることを実感できる。