男性向け雑誌だからこそ自由に描けた
それにしても、ちばてつや先生は「少年マガジン」と「ビッグコミック」で連載を2本描いていらした時期がありましたが、男性の雑誌にマンガを描けば一作で全世代に届くなんて、羨ましいです。そんな風に考えていたとき、青年誌での話があり引き受けました。
まず小学館の「ビッグコミック」で、75年から『パンドラ』を連載しました。さいとう・たかを先生の『ゴルゴ13』などが載っている雑誌だから、これらとの差別化を考えて、それまでの私の少女マンガにはあまり出てこなかった、男を陥れる悪い女の話にしました。男性に、女性の怖さを伝えたかったのです。
講談社の「モーニング(コミックモーニング)」で86年から連載した『愛生子』も思い出深い作品です。ヒロインは当時の私より少し年上。男たちの裏切りにめげず、学生運動のあおりで東大入試が中止になっても、それをチャンスと捉え、塾の経営者としてたくましく生きていく女性です。
男性向けの雑誌だからといっても制約はなく、自由に描かせてもらって楽しかったです。少女誌には少々馴染まないテーマにも挑戦しました。
かつて小学館から出ていた雑誌で、50代以上の読者の開拓を目指していた「ビッグゴールド」では、長く構想を温めていた渋めの歴史ものを連載しました。古代エジプトのツタンカーメン王とその妻の物語である『アトンの娘』です。
20世紀前半に発掘されたツタンカーメン王のミイラ。その人生を取り巻く謎に長く興味を持っていました。カイロのエジプト考古学博物館に出かけて史料を見学し「いつかこの物語を描けますように」と祈ったこともあります。その念願が叶ったのです。
高齢者のケアハウスを舞台にした『鶴亀ワルツ』も「ビッグゴールド」で描きました。
アクの強い老人たちと個性的なスタッフとのユーモラスな人間模様で、時折心理テストを差し挟むなど、遊びの要素を入れてコミカルな作品にしました。連載は90年代、高齢者の群像劇はまだ珍しかったのです。反響は大きく、テレビドラマになり、舞台化もされました。
昔は少年誌で連載する女性マンガ家は少なかったですが、今や、青年誌でしか描かない女性マンガ家が当たり前のようにいて、名作を生み出しています。
文/里中満智子
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