牛のことは「もう話すな。俺も悲しくなっから」
今年2月、国内外の若手映像作家が参加するワークショップに、山田洋次監督が訪れ、「浪江ちち牛物語」が今後制作される短編映画の中で取り上げられるそうだ。絹江さんらが牛になりきって紙芝居を上演する様子を撮影し、それを山田監督はじめ、ハンガリーの映画監督タル・ベーラ氏や若手映像作家らが見学したという。
「あのときは監督も周りの人たちも、みんながすすり泣いていましてね」(絹江さん)
紙芝居の最後には、隆広さんが号泣するシーンもある。隆広さんは、当時の様子を思い出したようにこう話す。
「あんときの気持ちは郡山くんならわかるよな。一緒にな、写真撮るのにいたからな」
これまで自宅の牛舎では、大学生を集めての上演会など合計3回、紙芝居を行ってきた。また全国各地で上演するため、絹江さんは日々駆け回っている。
体調がすぐれない隆広さんは今、特に仕事という仕事はしていない。やることといえば、妻の農園を手伝うことくらいだ。
「お父さんにはトラクターで畑をうなったり(耕す)してもらっています。今朝も、草が生えてきたからマメトラ(農業機械)で草あげてねっていうと、『わかった』と。そうやって仕事をお願いしないとお父さんは動けない。自分からというのはできない。でも、それでもいいかなと思ってるんです」
そう話す絹江さんは、実は自分でもトラクターの運転はできる。それでも隆広さんにお願いするのは、隆広さんを外に引っ張り出すためだ。あの日から時間が止まったままの隆広さん。それでもいいと絹江さんは、じっと夫を見守っている。
一緒に暮らす父親は約2年前に亡くなり、今年は母親も他界した。13年という歳月は隆広さんの中で無常に過ぎていく。最近は、「俺ももう長くはないから」と妻に弱音を吐くこともある。それでも絹江さんは夫を見守ることしかできない。
「かわいそうになっから、もう話すな。俺も悲しくなっから」
あの日を境に、夫婦のあいだでも牛の話題を避けようとする隆広さんの心境は今でも変わらない。今後、浪江町の自宅に帰ることになったら、思い出が詰まった牛舎は取り壊して更地にすると決めているという。
取材・文/甚野博則
集英社オンライン編集部ニュース班
撮影/Soichiro Koriyama