震災紙芝居は山田洋次監督も見学
「自治会っていうのは、このあたり100軒くらいの会長だ。理屈から言って、そんなのできるわけねえ。市政だよりとか毎月くっけど、そんなの見ねえべした。何やってんだか、他がどんな家だかもわかんねえし。ここに40年も住んでて班長をやったこともない人もいるんだ」(隆広さん)
その話を隆広さんから聞いたとき“よそ者”であるがゆえ、面倒な仕事を押し付けられているような気がしてならなかった。寡黙な性格の隆広さんは、表情を変えずにこう漏らす。
「ここは住みにぐいな」
一方、絹江さんは役場を定年退職してから、多方面に活躍の場を広げている。例えば農園だ。福島市内に農園を立ち上げ、生産から加工まで行っている。エゴマを始め、さくらんぼ、ブルーベリーに無花果……。ジャムやドレッシング、味噌といった絹江さんの農園が作る加工商品がテレビで取り上げられたこともあり、全国から注文が絶えないそうだ。スタッフも5、6人雇っているという。
「公務員としての退職金をもらったんだから、好きにやりなさいとお母さんから言われたのがきっかけで、こうした農園をはじめました」(絹江さん)
仲間を募って浪江町でもエゴマ栽培を行ってきた絹江さん。エゴマは町の特産品になりつつある。それだけではない。
「他にも浪江発の商品を作っていこうと思い、馬ブドウ(正式名はノブドウ)を試験栽培したりしながら、すでに動き出しています」(絹江さん)
さらに驚くのが、震災の出来事を後世に残すための活動だ。絹江さんは全国を回って紙芝居の読み聞かせをしているという。今年は、許可をとって浪江町の自宅にある牛舎に入り、紙芝居を行った。そこには、あの山田洋次監督(92)も来たという。
「何でだ? 何でオラたち死ななければならねえんだ?」
「知らねえ。クッソオ~父ちゃんのやつ、裏切ったなあ」
「そんなことはねえ。父ちゃんはそんなことはしねえ」
これは紙芝居「浪江ちち牛物語」の一節だ。擬人化された牛の物語で、乳牛を殺処分することになった隆広さんの体験や心境を基に、広島県の作家が紙芝居にしたものである。