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「お父さんはあの日からすっかり変わってしまった」

〈この先帰還困難区域につき通行止め〉

赤い文字で危険を知らせる立て看板が街のあちこちで目につく。1年ぶりに訪れた福島県浪江町の津島地区は、屋根が崩れ落ちた民家や取り壊し途中の学校、朽ち果てた牛舎などが、そのままの形で残されていた。

無人の街。そう表現しても決して大袈裟ではないだろう。昨年、浪江町では「室原、末森、津島」の3地区の一部で避難解除が実施されたとはいえ、東日本大震災から13年が経った今も、故郷に帰ることのできない被災者は多い。

福島県浪江町津島地区のガソリンスタンド
福島県浪江町津島地区のガソリンスタンド
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そうしたなかで今年1月、政府は未だに帰還困難区域となっている浪江町の一部地域について、避難指示を解除する「特定帰還居住区域」に新たに指定した。帰宅を希望する浪江町のすべての住民に、2029年末までに故郷に帰れるかもしれないというかすかな希望が見えてきたのである。

だが、この政府の決定について複雑な思いを抱いている者もいる。例えば、石井隆広さん、絹江さん夫婦だ。福島県浪江町の津島で酪農を営んでいた石井さん夫婦の自宅は今も帰還困難区域の中にあるため、帰ることはできない。現在は浪江町から60キロ以上離れた福島市内の住宅に生活の拠点を移している。

今回、「特定帰還居住区域」に指定された浪江町出身者の声を取材させてもらおうと、福島市内の石井家を訪れたのは今年2月末のことだ。

震災直後から浪江町の人々を撮り続けてきた写真家の郡山総一郎氏に同行し、石井さんの家の外から窓の中を覗いてみると、こたつに入った隆広さんが横たわって昼寝をしている姿が見えた。外まで出迎えてくれた絹江さんは、眠っている夫の姿を見ながらこう話す。

牛舎で働く13年前の石井隆広さん
牛舎で働く13年前の石井隆広さん

「お父さん(隆広さん)、あの日から、すっかり変わっちゃったんですよ」

あの日とは、福島第一原発の事故により、飼っていた牛たちが殺処分をされた日のことだ。育てていた乳牛がトラックに乗せられ運び出された日を境に、隆広さんの時間は止まっているようだった。