新宿駅までの所要時間は140分に
結局、御茶ノ水駅で中央線の快速に乗り換えた後、目的地である新宿駅に電車が到達したのは8時41分、地上に出たのが8時48分。所要時間はバス停から計測しても140分で、往時より40分も余計にかかる計算になる。
特急電車を利用すればより早く到達できるが、特急の始発電車に間に合うバス便が存在しないため、今回の撮影では利用していない。多くの地方都市同様、九十九里平野においても、駅までの移動ですら自家用車に頼らざるを得ない事実が厳然としてある。
動画内では下車後、オフィスビルが連なる新宿駅の西口方面に向かっているが、この西口の光景も、50年前と現在では、ほとんど何の面影も残さないほど変貌しているはずだ。
いずれにしてもおよそ「検証」と呼ぶには値しない杜撰な検証ではあるが、都合よく急行「犬吠」を毎日利用できる条件であったならまだしも、そうでなければ今も昔も、決して楽な通勤とは言えないということはわかる。
冒頭で紹介した東昭観光開発の分譲地は、例によって当初の購入者の大半は投機目的であった。同分譲地に実際に家屋が多く建ち始めたのは1980年代後半に差し掛かってからであり、それまでは大半の区画が更地だったので、電化前の総武本線を利用して新宿まで通勤した「猛烈ビジネスマン」など、実際はほとんどいなかったはずだ。
しかし開発ブームに沸いた1970年代から、のちに地価が高騰する80年代後半〜90年代初頭の首都圏は、一般的なサラリーマンの給与では都心近郊の宅地などは到底手が届かない価格に跳ね上がっており、都内の会社まで1時間半、2時間かけて通勤するのはごく当たり前の話であった。千葉県には、そんな時代に開発された旧ふるい郊外ニュータウンが、今も数多く残されている。
70年代当時は公害が深刻化していた時代でもあり、環境が悪化する一途の都心部周辺を避け、環境汚染の影響が及ばない郊外が積極的に選ばれたケースも確かにあったのだが、好き好んで過酷な通勤手段を積極的に選ぶ人はさすがに少数派であったとは思う。
皆、予算が許す範囲で、可能な限り会社にも近く、また環境も優れた土地を選んでいたはずだ。
そんな時代を生きた方の、土地というものに対する絶対的な信頼感を、今日の相場観をもってあっさり切り捨てるのは酷な話であることはわかるのだが、一方で、もはや最寄り駅までの交通手段すら途絶しつつある「住宅地」の資産価値について、今後も過大に期待を寄せるのが賢明であるとはとても思えない。
この機微をはたしてどう扱うか、「限界ニュータウン」という題材を扱ううえで、常にこの点が一番頭を悩ますところである。
モノクロ写真・新聞広告/書籍『限界分譲地 繰り返される野放図な商法と開発秘話』より
写真/shutterstock
#1 スローライフもミニマルライフも住むメリットも存在しない田舎暮らし
#3 あなたの土地は大丈夫? 日本に点在する限界分譲地