同窓会での気恥ずかしさ

同窓会に憧れていた。

僕が子どものころに好きだった漫画や児童書には、なぜか同窓会のシーンがよくあった気がする。みんな楽しそうに思い出を語らい、ご馳走を食べ、互いの近況を話し合ったりしている。自分も大人になったらこの楽しそうな会に参加できるのだろうと思っていた。

実際に同窓会というのはどのくらいの頻度で開かれるものなのだろう。今回の漫画でノブヒコが参加した地元の同窓会は、参加人数15~16人くらいの小規模なもの。同窓会というよりも、例年よりたまたま人数が増えた地元の新年会のイメージだ。
僕が憧れていたのは、かつてのクラス全員もしくは学年全員の実家にハガキが届くような同窓会。お店を貸し切ったり、担任の先生が来たりするものだが、一度も参加したことがない。

チャンスはあった。30代後半のころだ。

小学生のとき校庭に埋めたタイムカプセルが、校舎の改築をきっかけに掘り起こされることになり、当時の学校に在籍していた生徒全員に連絡が来た。そのイベントで久々に顔を合わせた元クラスメイトたちの呼びかけで、大規模な同窓会が催されることになった。

地元を離れていた僕も声をかけてもらったが、子どもが生まれたばかりの時期だったので残念ながら帰省できなかった。当日はSNSに同窓会グループが作られ、タイムラインに次々アップされる写真やムービーを眺めていた。小学生のころから変わらない顔、面影を感じる顔、もはや誰だかわからない顔が入り乱れとても楽しそうだった。すでにおでこが広くなりかけているやつもいたかもしれない。

そのあと何人かの友人とは個人的なやりとりもするようになった。みんなまっとうな職に就いていて、不安定な自由業である僕としてはやや引け目を感じた。そんな話題の中、ある友人が「5年前なら自分は同窓会に参加していなかったかも」と言ったのが印象に残っている。

当時の彼は転職がうまくいかずプータロー状態だったそうで、なるほどそのタイミングで同窓会が催されたら、僕も参加を躊躇するかもしれないと思った。
いや、考えてみれば僕だってたまたま子どもが生まれたばかりで参加できなかった「ことにしている」だけで、独身だったら無名のイラストレーターである恥ずかしさが不参加の理由になっていたかもしれない。

無名であることに関しては歳を経るにつれ、一応生活はできているのだからと開き直れるようになった。と思ったら今度は髪が薄くなり始めた。いま同窓会の誘いがあったら…少し前ならこの問題に関してはまだ開き直れず、やはり欠席したかもしれない。現在ならこの漫画のネタを拾う名目で躊躇なく参加するだろう。10年後なら仲間も増えていそう。でも他の問題が起きているかもしれないな……。

僕の憧れはいまや同窓会そのものではなく、「躊躇なく同窓会に参加できる万全の大人」に移行しつつある。