荻窪ロフトで行われた伝説のオープニング・セレモニー

この荻窪ロフトは、ティン・パン・アレー系ミュージシャンのたまり場となった。オープニング・セレモニーは、歴史的にもう二度とあり得ない一大セッションが繰り広げられた。

細野晴臣、大滝詠一、鈴木茂、松任谷正隆、林立夫、大村憲司、浜口茂外也、小坂忠、ジョン山崎、小原礼、今井裕、ユーミン(荒井由実)、吉田美奈子……大貫妙子は歌う場所がなくて、カウンターの中から歌っていた。

ユーミン、細野晴臣、大滝詠一らが一堂に会した伝説のライブハウス「荻窪ロフト」のオープニング・セレモニーの舞台裏とは? 「“日本のロックの夜明け”が見えてきた」_3
ティン・パン・アレーのベスト盤『ベスト15』(1992年、Panam)(写真は左上より時計回りに、鈴木茂、細野晴臣、林立夫、松任谷正隆)

この時代、私たちが支持する音楽はまだ全くのマイナーだったが、当時の高校生相手の深夜ラジオははっぴいえんどを筆頭に日本のロックの生演奏を流すようになったし、『ヤング・ギター』のような雑誌もロフトに興味を持ってページを割いてくれるようになった。

荻窪ロフトからの録音中継も何度かあり、たとえば山下達郎や大貫妙子が在籍したシュガー・ベイブの荻窪ロフトでの解散ライブも録音中継されたのだ(シュガー・ベイブのライブにはお客さんがたくさん入るようになっていたし、これから動員を増やしていけば「ロフトの柱になれる」と思っていた矢先だったので、私は彼らの解散には大きな衝撃を受けた)。

それが大きな宣伝効果となり、荻窪ロフトは次第にその名を知られ、ライブ以外のロック喫茶、ロック居酒屋の時間でもお客さんが入り始めた。若者たちはリクエストしたレコードから流れる爆音を聴きながら友人たちと酒を飲むようになった。

当時はロックの輸入盤が高価で、裸電球、四畳半、煎餅布団で暮らす若者は自由にレコードを買うことができない。そのため、ロック居酒屋に音楽マニアが集まるといった方程式が確立していった。