吉本興業に象徴されるホモソーシャル的ボーイズクラブの雰囲気

一番の問題は性行為に合意があったかどうかだ。

私は、女性側が「ぜひ! 喜んで」と意思表示した以外はすべて「NO」として扱うべきだと思う。一般論だが、男性は激しく拒絶されていなければグレーも含めて「YES」と受け取る、もしくは 「YES」ということにしてしまう。松本人志や彼に追従している男性側も「激しく拒絶してないんだから、同意でしょ」という理屈を導き出したのではないだろうか。他人の意思を自分たちに都合よく解釈した結果が、この騒動である。
こちらも一般論だが、二十代の女性が還暦近い男性に対して「ぜひ!」となるのは、なかなかレアだ。相手の知名度や経済力と生理的&性的皮膚感覚はそう簡単に比例はしない。知名度や経済力のある男性はそこを勘違いしやすいようだけれど。
どうしてすぐに警察に行かなかったのかという批判もあるが、そういう声そのものが原因の一つだと思う。激しく拒絶をしていない場合、これを「被害」と申告して果たして受け入れられるのだろうかという不安になって、二の足も踏む。それ以前に、「警察行け」派は、自分が望んだわけではない性行為(及びそれに近い行為)を見知らぬ人に話して公にするハードルの高さを想像したことがあるのだろうか。多分、ないでしょう。女性側の気持ちに興味はないだろうから。

芸能人に清廉潔白など求めないし(そもそも私は誰に対しても求めないですが)、密室での飲み会そのものは好きにしたらいいと思う。しかし、最低限の想像力を持っていない人は遊ぶべからず。他人に対しての想像力が働かず、相手も心を宿す一人の人間という事実に考えが及ばないのなら、飲み会も合コンも性行為もするべきではない。

吉本興業の一部に象徴される、ホモソーシャル的ボーイズクラブの雰囲気が心底苦手だ。上下関係きびしめな男性の集団の内輪ネタはいってみれば日本の社会の縮図だから、みんな感情移入しやすくて、共感も呼びやすいのだろうけれど。どこまでいっても男性目線でしか物事を見ず、女性はあくまでも添え物で、だからこそ女性に求められるのは美しさと鮮度ばかり。果物じゃないんですけど。

女性は自分たちの結束を高め、自分たちが盛り上がるためのアイテムでしかない。そして、ボーイズクラブの中にいる一部の「名誉男性的」女性は驚くほど男性目線が染みついている。そういう女性たちもまた「飲み会に参加しておいて、何を今更」というのだ。あのプロレスラーのように。

松本人志とその取り巻き連中たちは、混同されやすいけれど、女好き恋愛好きの遊び人とはまったく別物。松本人志的な男性は決して女好きなんかではない。むしろ女性には大した興味がないと思う。あるのは支配欲と性欲。

令和六年の今、ホモソーシャルを体現しているボーイズクラブのすべての解体を望みます。経営者の集まりの集合写真にありがちな、写っている女性はホステスさんか芸者さんだけ、みたいな構図、あれはもはや時代遅れの恥ずかしいものなのだ。

文/甘糟りり子