「安い賃金」の国への転落は、電機産業凋落から
日本が「安い賃金」の国へと転落していくきっかけは、輸出産業の花形だった電機産業の凋落でした。1990年代半ばのことです。
1980年前後から1990年代前半にかけて、日本の電機産業は世界随一の競争力を持っていました。日本の大手メーカーが製造する「テレビや冷蔵庫などの家電」「パソコン」「カメラやビデオに代表される光学機器」「オーディオ機器のような音響機器」「コピー機などの事務機」はジャパンブランドとして文字通り世界の市場を席けんしていました。
日本の輸出総額に占める家電製品やパソコン、光学機器などの割合は、1995年の時点で13.5%に達し、同16.3%を占めた自動車とともに莫大な外貨を稼ぎ、日本経済の繁栄を支えていました。日本の大手家電メーカーや光学機器メーカー、音響機器メーカー、事務機器メーカーは「モノづくり大国ジャパン」を支える世界有数の企業だったのです。
商品開発力にも長けており、これまでにない独創的な商品を次々に開発・発売し、世界の消費者の心をつかんでいました。
ソニーが1979年に発売したカセットテープ再生型の初代ウォークマンや、任天堂が1983年に発売したファミコンはその代表でしょう。ウォークマンは手軽に持ち運びできるオーディオプレイヤーとして欧米でも爆発的に売れ、ウォークマンを聴きながらローラースケートやスケートボードに興じる若者たちの姿が時代の象徴になりました。
一方、ファミコンは、ゲームセンターに置いてあるアーケードゲームと遊戯性の点で遜色のないゲームを、家庭でも楽しめる家庭用ゲーム機として登場しました。世界中の子ども達だけでなく親世代をも引きつけ、「マリオブラザーズ」や「ドラゴンクエスト」のような世界的な大ヒットゲームのシリーズを生み出したのは皆さんもご存じのとおりです。
ちなみにウォークマンの開発を決断したのは、ソニーの創業者であり、当時会長だった盛田昭夫氏です。盛田氏の盟友で声楽家でもあった井深大氏(当時の名誉会長)が、「ビジネスで行き来する国際線の機内で音楽が聴けるポータブル型オーディオプレイヤーを私自身のために開発してほしい」と、当時のオーディオ事業部長で伝説的なエンジニアとしても知られた大曽根幸三氏に依頼したのがきっかけでした。
大曽根氏は既存の製品とありあわせの部品で試作品を開発しました。その性能に驚嘆した井深氏は、すぐに試作品の奏でる音楽を盛田氏に聞かせました。
盛田氏は製品としての大きな可能性を確信し、ウォークマンの商品化を指示したのです。
ワクワクするようなエピソードですね。商品開発に向けて何十回も無駄な会議を開き、結果的に当初の独創性が失われ、最大公約数的な面白みのない製品しか生み出せなくなってしまった現在の多くの家電メーカーなどからは考えられないような話です。