一部のメディアは
取り上げたものの……

スポーツの舞台で人権啓発を訴えることは、はたして政治的な言動なのか、という非常に現代的な課題と真摯に向き合って考えようとする誠実な姿勢は、JFAの回答からは残念ながら感じられない。そして、この事なかれ主義は、おそらく日本の活字・放送メディアのスポーツ報道にも通底しているようにも思える。だからこそ、活字メディアのスポーツ面やテレビのスポーツニュースのコーナーは、カタール大会でホットなトピックだったこの問題に触れず、正面から論じることを避けたのだろう。

ただし、その一方で日本のサッカー界が総じて、反人種・民族差別の啓発運動に積極的かつ前向きに取り組んできたことは事実として指摘しておくべきだろう。たとえば、やや旧聞に属するが、2014年の浦和レッズ差別横断幕に対する無観客試合という対応、そしてその後にメディアや選手、関連団体で闊達に行なわれた議論は、当然あるべき健全さと差別を許さないという彼らの矜持をよく示している。

だが、第四章で平尾剛氏が指摘し、後段の第八章でも山本敦久氏が詳細に論じている〈アスリート・アクティビズム〉については、上記のJFA回答文書や田嶋氏発言から類推する限り、どうやら日本サッカー界の総意は前向きではなさそうだ。

これは、〈アスリート・アクティビズム〉にとって選手たち個々人の活動と両輪をなすスポーツメディアに対してもあてはまる。カタール大会期間中の日本のスポーツメディアは、活字も放送も揃って、勇気と感動の類型的な物語を飽きることなく再生産し続けた。それは1年数ヶ月前の東京オリンピックで見せた風景と同じものだった。

人権侵害に対する日本サッカー協会の残念な認識…スポーツの舞台で人権意識啓発を訴えることは、はたして政治的な言動なのか_4
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しかし一方では、このカタールワールドカップを契機に、新聞の総合面やオンラインメディアのニュースでは、スポーツウォッシングについて言及する記事や考察が散見されるようにもなってきた。また、それらの記事の中には、たとえば「静岡新聞*7」のように、ヨーロッパを中心としたカタールワールドカップに対する問題提起やアクションはイスラム世界に対する偏見で過剰なポリティカルコレクトネスだ、と反発する人々の声を拾い上げる複眼的な視点のレポートや、スポーツウォッシング批判に対する中東側からの反論を紹介する「朝日新聞」記事*8などもあった。

と、このように活字メディアの動向を見渡してみると、「政治的」な問題に注目が集まったサッカーワールドカップ・カタール大会は、日本でもスポーツウォッシングについて多少なりとも議論を広げる効果があったようだ。

しかし、放送メディア、特に地上波テレビ放送は総じてこの問題を取り扱わない。腫れ物に触るどころか、むしろ「君子危うきに近寄らず」とでもいうような沈黙が続いている。

なぜ、テレビはスポーツウォッシングの問題から目をそらし、距離をおき続けるのか。次章では、その理由について考察をしたい。



*1
https://www.fifa.com/tournaments/mens/worldcup/qatar2022/news/one-month-on-5-billionengaged-with-the-fifa-world-cup-qatar-2022-tm

*2
https://www.liberation.fr/sports/football/un-journal-de-la-reunion-boycotte-la-coupe-dumonde-au-qatar-20220913_54V63DXPAJHR3NOQICXKQQ2IFA/

*3
https://news.sky.com/video/world-cup-2022-australian-mens-football-team-calls-out-qatar-onhuman-rights-record-12731181

*4
https://www.espn.com/soccer/denmark-den/story/4756081/world-cup-denmark-kit-toprotest-qatars-human-rights-record-at-2022-tournament

*5
https://www.reuters.com/lifestyle/sports/denmark-will-travel-qatar-without-families-humanrights-protest-report-2022-10-04/

*6
https://www.eurosport.com/football/world-cup/2022/with-a-heavy-heart-european-teamsabandon-one-love-armband-protest-under-fifa-pressure_sto9237838/story.shtml

*7
https://www.at-s.com/news/article/national/1170338.html

*8
https://digital.asahi.com/articles/ASR1N2VL3R1NUHBI001.html



写真/shutterstock

日本のマスコミが報じない中東のカファラシステム
テレビにとってスポーツイベントは最後の聖域

スポーツウォッシング なぜ〈勇気と感動〉は利用されるのか
西村章
人権侵害に対する日本サッカー協会の残念な認識…スポーツの舞台で人権意識啓発を訴えることは、はたして政治的な言動なのか_5
2023年11月17日発売
1,144円
240ページ
ISBN:978-4-08-721290-7
「為政者に都合の悪い政治や社会の歪みをスポーツを利用して覆い隠す行為」として、2020東京オリンピックの頃から日本でも注目され始めたスポーツウォッシング。
スポーツはなぜ”悪事の洗濯”に利用されるのか。
その歴史やメカニズムをひもとき、識者への取材を通して考察したところ、スポーツに対する我々の認識が類型的で旧態依然としていることが原因の一端だと見えてきた。
洪水のように連日報じられるスポーツニュース。
我々は知らないうちに”洗濯”の渦の中に巻き込まれている!

「なぜスポーツに政治を持ち込むなと言われるのか」「なぜ日本のアスリートは声をあげないのか」「ナショナリズムとヘテロセクシャルを基本とした現代スポーツの旧さ」「スポーツと国家の関係」「スポーツと人権・差別・ジェンダー・平和の望ましいあり方」などを考える、日本初「スポーツウォッシング」をタイトルに冠した一冊。

第一部 スポーツウォッシングとは何か
身近に潜むスポーツウォッシング
スポーツウォッシングの歴史
主催者・競技者・メディア・ファン 四者の作用によるスポーツウォッシングのメカニズム
第二部 スポーツウォッシングについて考える
「社会にとってスポーツとは何か?」を問い直す必要がある――平尾剛氏に訊く
「国家によるスポーツの目的外使用」その最たるオリンピックのあり方を考える時期――二宮清純氏に訊く
テレビがスポーツウォッシングを絶対に報道しない理由――本間龍氏に訊く
植民地主義的オリンピックはすでに<オワコン>である――山本敦久氏に訊く
スポーツをとりまく旧い考えを変えるべきときがきている――山口香氏との一問一答
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