アスリートのセカンドキャリアの難しさ

──アスリートの身体や言葉は、誰かにコントロールされるものではなく、その選手のオリジナルのものだったはず。なのになぜ、こんなに言葉が軽くなってしまうのか。これはアスリートのセカンドキャリアの問題にも関わっていると思います。

自身の言葉に対する無責任な姿勢を見ると、誰かに自分の言葉と身体を預けて、その見返りに今の地位をもらっているようにも見える。政治家になったアスリートも政治の志があるわけではなく、セカンドキャリアとしてただの就職先になっている。


アスリートは見下されているんじゃないかと思うんです。知名度がある、そして上位下達に慣れていて従順なところがある。だからこれを利用したい権力者が政治家に誘う。オリンピアンの人たちもかつて現役時代は、練習でも試合でもポイントとなる局面では忖度せずに自分にとっての最適の選択が出来ていたわけで、だからこそ、競技者としてトップにいられたはずなんです。しかし、引退後はそうではない。

バレーボールの益子直美さんなどは今のスポーツの在り方に声を上げていて、パワハラを抑止するために「(監督やコーチが)怒ってはいけない大会」などを創設してがんばっています。しかし、スポーツ業界全体を見渡せば目も当てられない状況です。スポーツをやっていてオリンピックに出ていてもああなるのかと思われてしまう。何より、答弁に誠意がない。学生たちもこういう切り抜け方があるのか、これで質問の時間が消化されていくのだろうと見てしまうと政治不信はますます進みます。

2020東京五輪(Photo by Shutterstock)
2020東京五輪(Photo by Shutterstock)

──馳知事は朝鮮学校を無償化の対象から外したときの文部科学大臣でした。この対応は日本も批准する「子どもの権利条約」や「人種差別撤廃条約」に違反すると批判を受けています。自分はこれに調印した当時の事務次官の前川喜平氏に聞いたのですが、「馳さんも本音は外したくなかったと思いますよ」と言っていました。文科大臣でさえコントロールされている。まだキングメーカーがいるわけです。

オリンピアンとして差別に反対する姿勢は持っておられるのに残念なことですね。

──もちろん、頑張っているアスリート出身の政治家もいるんです。例えば、Jリーグの愛媛FCのエースだった友近聡朗(元参議院議員)は自分の言葉を持っていた。2007年の当選後の最初の国会質問は、参院文教科学委員会で、ドーピング冤罪に苦しむ我那覇和樹選手(当時川崎フロンターレ)のためにWADA(国際アンチドーピング機構)規定を徹底的に読み込んで、ドーピング違反をしていないのに我那覇を罰したJリーグの監督官庁である文部科学省に疑義をぶつけました。

その結果、樋口修資スポーツ・青少年局長から、「ドーピング防止活動を推進する文科省として遺憾。Jリーグから話を聴いて、適切な助言、指導を行いたい」「Jリーグが日本アンチドーピング機構に一刻も早く加盟できるよう側面支援したい」との答弁を引き出しました。友近議員はいきなり、自身の出身団体であるJリーグに対しても臆することなく、真実にたどり着くべき言葉を発しました。


派閥に入ってしまうと、自由が阻害されてしまいますよね。三屋さんも、たとえ一般論であっても「機密費で買収を疑われるような行為をするのはおかしい」と自分の言葉で言わないといけないと思うのです。モスクワ五輪ボイコットの反省を踏まえて、JOCは政治から独立するために再構成された組織のはずです。しかし、ずっと政治家から軽視されてきました。

象徴的なのが、2020東京五輪がコロナで延期になることが、JOC会長の山下さんに一切知らされずに決められたことです。IOCのバッハ会長と話し合ったのは、安倍総理(当時)、小池百合子都知事など、政治家だけで、JOCは蚊帳の外に置かれていました。これは抗議すべきでした。山下さんは選手時代、モスクワ五輪のときに出場を直訴した人です。気概のある方だと思っていましたが残念です。

JOCが機能しているのかという問題もあります。札幌市とJOCが2030年の冬季五輪招致活動を断念して、2034年招致に切り替えると宣言したその4日後にIOCはこの二大会を同時に選定すると発表しました。つまりJOCはIOC傘下にいながら、何も知らされていなかったことになります。