日本全国に数ある灯台の中で、なぜ禄剛埼灯台だけに菊の御紋章が施されたのか
さて、現実に帰ろう。
禄剛埼灯台には、日本全国に点在する他の灯台には見られない、ひとつの特色がある。
現地の案内板にも記されていたが、“日本で唯一「菊の御紋章」がある灯台”なのだ。
探してみると確かに、灯台の外側何箇所かに、天皇家の御紋であり、日本の国章にもなっている菊模様があしらわれているのが確認できた。
まずは海の反対側、建物正面の上部に掲げてある銘板。
「明治十六年七月十日初点灯」という文字があり、その上にやや変形パターンではあるが、まさしく菊の御紋が描かれていた。
また、灯台の上部にぐるりと一周設置された、「踊り場」と呼ばれる金属製の台を支える金具に、菊の模様が施されているのがわかる。
そのほかにも、一般人は年に数回おこなわれる内部公開日にしか確認できないが、屋内の天井にも菊の御紋が施されているのだとか。
ふむふむと思いつつ僕はその場でスマホを使い、日本でこの灯台だけに、なぜ菊の御紋が施されているのかを調べてみた。
しかしどうやら詳しい資料が存在せず、一種の謎になっているらしいということがわかった。
そして、「探検ウォークしてみない?」というブログ内の記事を見つけた。
https://soloppo.com/221021-lhquest-rokkou/
ライターの牧村あきこさんという方が2002年に書いた、『禄剛埼灯台だけになぜ「菊の御紋」があるのか』と題された記事の検証によると、どうやら禄剛埼灯台は実質的に、「日本人だけで設計・建造された初の灯台」なのではないかということなのだ。
海外から招聘された外国人技師の力を借り、急速に近代化を進めていた明治初期の日本では、次々と西洋式灯台が建造されていた。
だが明治14年(1881年)には、灯台建設に関わる外国人技師がすべて帰国。その後は日本人のみで、灯台を設計・建造しなければならなくなった。
同じく明治14年に初点灯した、福井県敦賀市の立石岬灯台が、“日本人のみで建設された最初の西洋式灯台”として知られている。
でも実はその灯台の設計・建造には、帰国直前の外国人技師が関与しており、その次に建造されたこの禄剛埼灯台こそが、真の意味で初の“純日本製灯台”だったのではないか、というのがその記事の趣旨だ。
写真で確認すると、敦賀の立石岬灯台も非常に美しい建造物で、やはり異国情緒漂うロマンチックな雰囲気だ。
禄剛埼灯台よりも小ぶりでシンプルなつくり。そして菊の御紋章はどこにもあしらわれていない。