「本当にすごい」。お約束を破壊する、
『もののけ姫』と『千と千尋』の作劇
――最後にあらためて『もののけ姫』と『千と千尋』に話題を戻したいのですが、この2本は作劇が変わったという点で、宮﨑駿監督のフィルモグラフィーにおいて最もエポックメイキングな作品だと思います。
藤本 はい。それまでの作品はどれも『天空の城ラピュタ』みたいに本当にきれいにお話としてまとまっていましたよね。でも、『もののけ姫』と『千と千尋』には、そうじゃない魅力が生まれていると思います。
――『スタジオジブリ物語』の中では、『もののけ姫』の頃から宮﨑監督は「解決不能な問題」をテーマとして取り組むようになったと書かれていますね。
藤本 本当にそうですよね。僕が自分で『もののけ姫』の物語にどうオチをつければいいか考えると、すごく難しいです。実際『もののけ姫』フォロワーの作品っていっぱいあるんですけど、どれも「自然と人間が手を取り合いました」っていう、現実的に無理がある着地をさせてしまっていて、嘘くさくなっちゃってるんですよね。「作品にする」ということを考えると、それが普通のまとめ方なんですけど。
――よく言えば「理想を託す」「願いをかける」みたいなことですよね。
藤本 でも、『もののけ姫』では、森も人間も憎しみ合ったままだし、アシタカはサン個人とは分かり合えたけど、森とは分かり合えていない。そして「徐々にあの森はなくなっていくんだろうな」と感じさせる終わり方でもありますよね。
――はい。
藤本 だから、一般的に「作品としてまとまっているか」を考えると、『もののけ姫』はそうじゃない。でも、それなのに「いいものを観た」と感じさせるものになっている。それは本当にすごいことだと思います。僕だって子どもの頃は全然そんなこと考えずに『もののけ姫』を観て、単純に「よかったー」って感じましたし。
――子供の視点からすると「森は救われた」って話にもなりますよね。
藤本 『千と千尋』だってそうですよね。千尋っていうか弱い女の子が、両親から離れて、異世界でいろんな人と出会って、仕事をして、明らかに後半では人間的成長をしていると思うんです。最初はすごい高い階段から恐る恐る下りてたのに、後半はもうスタスタスタって感じだったし。ハクを助けるためにがんばるのも、最初の千尋からするとすごい成長ですよね。
――もはや別人のように強くなってますよね。
藤本 観てる僕らも、そんな成長した千尋を見て「すごくいろんなことがあったな」と思うわけじゃないですか。でも、最後に千尋が現実世界に帰るとき、またトンネルの暗さを怖がって親に抱きつくんですよ。そこで「あれっ?」と思って。「千尋はこの映画で起こったことを全部忘れちゃうのかな……」って、すごく悲しかったんですよ。
――うんうん。
藤本 でも、きっとそんなことはなくて。銭婆が「一度あった事は忘れないものさ。思い出せないだけで」って言ってましたけど、本当にそう。
――屈指の名言ですよね。
藤本 あれって僕は「手癖」の話だと思ってるんです。手癖とか、息の仕方とか、歩き方とか、自転車の乗り方とかって、最初にどうやったのか覚えてないじゃないですか。
――大きく言えば、生き方。
藤本 そう。宮﨑駿監督の作品にはどれも、ずっとそういう意識があると思うんです。彼が『千と千尋』の中でメインテーマのように語っていた「仕事の大切さ」も結局はある程度のフックでしかなくて、本質は“そこ”にあるんじゃないかなって。だって、千尋は帰った途端に、あれだけやった仕事のやり方とかも、きっと忘れてしまっているじゃないですか。
――そうだと思います。
藤本 それだけじゃなく、またナヨナヨした千尋に戻っているんですよね。ただ、髪留めが表すように、あの異世界であったことがなくなったわけではない。あれは他の映画にはない感覚だと思います。他の映画だったら「いじめられっ子が異世界へ行って帰ってきたら、いじめっ子に対して言い返せるようになってました」みたいな終わり方になると思うんです。
――普通はそのパターンですよね。「異世界の冒険で得た成長で、現実世界を変える」っていう。
藤本 そのほうがきれいに着地できますからね。ただ、それをやっちゃうと嘘になると思うんですよ。
――いろんな疑問も浮かびますよね。「異世界での記憶を持って秘密にしたまま、現実社会をまともに生きられるの?」とか「異世界での冒険の間、いじめっ子だって現実で何かしらの経験を得ているのでは?」などなど。
藤本 『千と千尋』も、観ていた人のほとんどが「千尋は現実世界に帰らないでいいのに」って考えたと思うんですよ。だって異世界でのほうが生き生きしてるし、人としての徳を積んだし、周りからの評価もあるじゃないですか。
でも、あの異世界に登場する神様たちはじめ、不条理なものとか理解できないものの感覚が作中で描かれていて、それが僕らに伝わってくるから、千尋としても物語としても最終的には自分の世界に帰る方がいいことが納得できるんですよね。そして、それが最後の”喪失”に繋がるっていう。
――しかも、千尋はあの後に、転校生として新しい学校に行くことになるんですよね。
藤本 そう。もっと言えば、お父さんの車の上に落ち葉や埃が溜まっている描写があるから、現実では何年か経っているんじゃないかとも考えられるんですよね。だから、リアルに考えると結構つらい展開だとも思うんです。
――現実では「家族3人が神隠しにあった」と騒ぎになっていた可能性もありますよね。
藤本 でも、最後まで映画を観た僕らは「それでも大丈夫だろうな、この後の千尋は」って思えるんですよ。
――まさに「一度あった事は忘れない」ですね。
藤本 …なんか、本当にすごいですよね『千と千尋』って。
――それって「映画を観ること」それ自体の話でもある感じがしますね。「子どもの頃に『千と千尋』を映画館で立ち見したときの感覚は残っているけど、細部の記憶はない」という藤本さんの体験も、藤本さんにとって血肉になり過ぎて逆に分析できないという状態も、みんながジブリの作家性に気が付かないというのも、全部ある意味では千尋と同じという。
藤本 そうですね。まさにその通りだと思います。
――観たことは忘れてないし…
藤本 「思い出せないだけ」。めっちゃいい言葉ですよね。
構成・文/照沼健太