「漂泊北京的日本小資小姐」の系譜としての『パッキパキ北京』

藤井 ところで、私は日本の現代文学には主に女性作家が作ってきた「漂泊北京的日本小資小姐」という系譜があると考えています。小資というのはプチブルジョワジーを意味する中国語で、小姐はお嬢さんのことです。中国では一九九〇年代頃から小姐はバーのホステスさんの意味で使われていますが、元々は良家のお嬢様を呼ぶ言葉でした。ですから、「漂泊北京的日本小資小姐」というのは北京を漂泊する中産階級の若い女性を意味するわけで、たとえば、戦前には林芙美子(一九〇三~五一)がおります。
 彼女は自伝的小説『放浪記』(一九二八~三〇)がベストセラーとなりまして、その印税を使ってふらっと中国ひとり旅に出ました。北はハルピンから南は蘇州、杭州まで中国の各地を放浪して、上海では魯迅に出会ってもおります。彼女が読売新聞に連載した中国体験記では汽車の三等車に乗り、安宿に泊まり、中国の中流階級や下層の人たちの暮らしに対する共感を深めていく姿が、いきいきと語られています。上海では現地で日本書店を開いていた内山完造が歓迎パーティーを開いてくれて、中国料理のご馳走を食べながら魯迅や郁達夫ら日本留学組の中国人作家たちと交流するなど、とても充実した時間を過ごしたようです。
 少し飛びますが、そうした中国体験を描いた女性作家に最近では一九九五年にすばる文学賞を受賞した茅野裕城子がいます。茅野さんは一九九二年に北京大学に留学して文学を学び、北京を舞台にした『韓素音の月』(一九九五)でデビューしました。綿矢さんの『パッキパキ北京』は、林芙美子や茅野裕城子の「日本小資小姐」の系譜に連なる作品ではないでしょうか。
綿矢 確かにそうですね。みんな境遇や年齢が似ているような気もします。茅野さんの『韓素音の月』では政治に興味がなかった主人公が最後、共産主義に興味を抱き始めていることが示唆されますよね。自然な流れで主人公の内面が成長し、視野が広くなっていく。私は北京を商業都市として見たときにどれだけ楽しめるかだけを書いてみようと思いました。大激動の中国を無視して、北京に暮らして何を消費するか、どうやったらさらに享楽的に暮らせるかに貪欲な人たちを描くことがどれだけできるかに挑戦してみたんです。
藤井 林芙美子が中国を漂泊したのは、満州事変(一九三一~三二)と日中戦争(一九三七~四五)の間の、大日本帝国と中華民国との関係が決定的に悪化していく時期でした。いっぽう、茅野さんが『韓素音の月』を書いたのは中国の改革・開放経済体制が本格化して、日中関係が経済的にも文化的にも緊密化して行く時期でした。『韓素音の月』が描く北京は、文化大革命(一九六六~七六)が終わり改革・開放が始まってから十六、七年経った時のことです。それまで北京では公民はみな何かしらの「単位(タンウェイ、組織の意味)」に属しており、職場と住居が隣合わせにある職住一致で、〝単位〟で恋愛し結婚し、子育てし死んでいく「単位社会」でした。ところが九〇年代になるとガラッと社会の様相が変わります。職業の選択や住居の売買・貸し借りが自由化し、恋愛、セックス、結婚から子育てまで、全ての習慣が新しくなります。茅野さんはちょうどそうした激変開始直後の北京を描いているのです。
 茅野さんの『韓素音の月』から三十年近くが経ちまして、その間に中国は空前絶後の経済発展を経験し、二〇一九年に絶頂期を迎えました。しかしその高度経済成長もコロナで三年間凍結されてしまい、さあ、これから復活するのか、というときに『パッキパキ北京』のヒロイン、菖蒲さんは北京漂泊を始めたのです。ですから『パッキパキ北京』にはコロナ後の復活あるいは挫折していく中国・北京の動静がグルメやファッション、恋愛事情を通して生き生きとユーモアたっぷりに映し出されていて、そこがとても面白かったです。これはやっぱり現場を見なければわからないものでしょう。私は今年の七月に三年半ぶりに中国を訪れましたが、滞在は二週間と短いものでした。それぐらいの短期の滞在ではよく摑めないですね、あの大中国の大都北京の状況は。
 ところで『パッキパキ北京』は二〇二三年の春を迎えるあたりで終わりますが、この後、菖蒲さんはどうするのか。中国は改革・開放経済体制の絶頂期を過ぎてしまい、もしかするとこれから下り坂を降りることになるかもしれない。菖蒲さんはその中国をどう見るのか、あるいは見たくなくて帰ってしまうのか、その辺もとても気になりました。
綿矢 私と菖蒲が滞在していた時期は一緒なんですが、確かにコロナの煽りを受けて下降気味になっていた頃だと思います。ですが、私は現地にいてあまりそのことを実感しませんでした。特に中心部は、コロナの規制が解けたその瞬間からメキメキと人の活気が戻っていきました。私は夫の都合で一緒に行って一緒に帰ってきちゃったのですが、もう少し長くいればどんな風に北京が変わっていくのかがもっと摑めたかもしれません。

今、「精神勝利法」をどう受け取るか

藤井 『パッキパキ北京』では菖蒲さんの夫が「阿Q正伝」に出てくる「精神勝利法」について言及する場面がありますよね。自分は初対面の人に感心されたいタイプだから、たとえハッタリでも相手が自分に一目置いてくれたらそれで満足するんだ、と言う菖蒲さんに、彼がそれは魯迅が「阿Q正伝」で書いた「精神勝利法」だと教えます。最後にそのことを少し伺っても良いでしょうか。
 彼女は銀座のホステスを始めたばかりだった頃に、ずっと欲しかったブルガリの腕時計を買うためにヨドバシカメラに行きました。でも、初めての高級時計を前に逡巡する彼女の横で中国のお金持ちたちがやってきて、なんの躊躇いもなく四本も五本も買って行ってしまった。それから彼女は中国人コンプレックスを抱き始めたようなのです。
 だから菖蒲さんは北京では駐在員の夫という後ろ盾もあるし、そのリベンジとしてブランド物を買えるだけ買い込もうと考えています。東京での屈辱を晴らしたいと考えているのですが、極寒の北京ではファッショナブルな服は着られない。街を歩く人はみんなダウンコートを着込んでいて、スカートなんて穿いている人はいませんから。ですから当初の目的を果たせそうにないわけですが、そこはさすが菖蒲さん。決して拗ねたりしません。今度はネット通販でダウンコートやスニーカーを買い、地元の人と同じ格好で街に繰り出していく。
 彼女はつまり消費者としての自分を誇示することで優越感を得ていたのですが、最後、そのことに疑念を抱きます。「シャネルが無いと勝った気になれないなんて、なんて情けないんだろう」と考えるに至った菖蒲さんは、国際電話で友人に「シャネルが無くても完全勝利できる女になる」と言い、「精神勝利法を極めるの」と宣言します。でも、ここが少し難しい。
 魯迅が「阿Q正伝」で描く精神勝利法とは、自らが強者から受けた屈辱と敗北を自分よりも弱い者、時にはもうひとりの自分を設定してそれに屈辱を転嫁して自己満足を得て、自己憐憫することです。阿Qは最初、みんなからいじめられるたびに「精神勝利法」で対応していきます。しかし、それが次第に通用しなくなり、ついに若い尼僧を揶揄い、セクハラをするのですが、それがきっかけで女を求めるようになってしまう。村の地主の趙家で働く若い後家の女中さんに求愛する――恋唄も歌うことなくいきなり「二人で寝よう」と迫ってしまいます。これが大問題になって村を追い出された阿Qはやがて、末路に至るのです。このように「阿Q正伝」で語られる「精神勝利法」は前半では阿Qの精神的崩壊を食い止める絶妙な働きをするのですが、後半第四章「恋愛の悲劇」以降、崩れていきます。それを考えると「精神勝利法」を拠り所にする菖蒲さんの将来が少し心配になるのですが。
綿矢 確かに「阿Q正伝」では「精神勝利法」は前半しか機能していないですよね。阿Qは死刑に追い込まれてしまうわけだから、完璧な勝利法ではありません。ただ、この「精神勝利法」は現在、日本でも中国でも、カジュアルなとらえ方をされてプチ流行しています。そもそも現代は生まれながらにして勝っていると思い込むことが難しい時代です。みんな自分が社会のなかでいかにつまらない人間なのかを常に意識させられるような世の中ですから。だからこそ、阿Qのように精神で勝利する方法を極められたら、あとあと苦労することになっても、今この瞬間はすごく人生楽しくなるんじゃないかなと思ったりもしました。
藤井 中国の場合、近年、貧富の格差が大きくなりまして、特にコロナ禍で経済成長が停滞してしまうと、貧者がより豊かになることが難しくなってしまいました。若い人の失業率も高くなっております。阿Qは、俺んちは昔は金持ちだった、と虚勢を張っていますが、物語のなかの現在では、彼には家族も友人もいない、定職もない、財産もなく、あるのは肉体だけのフリーターです。社会的には最底辺の位置にいる人物で、だから村の各層の人たちからいじめられるわけですね。そんな彼が「精神勝利法」で精神的安定を保つ姿に、現代中国の庶民が自分を重ね合わせているのかもしれません。
 一方、菖蒲さんは美しくて機転の利く賢い女性ですし、男性に貢がせているので裕福でして、阿Qとは大いに異なる人物です。そんな彼女にお連れ合いが北京に住め、子どもが欲しいと迫り始め、従わなければ東京のマンションを売るぞ、と脅すので彼女は反発する。それと同時に阿Qの「精神勝利法」に対して深い共感を示し始めます。この思考法にはスピリチュアル・ビクトリーとして北京が世界に広めるべきと言えるほどの価値がある、とまで彼女は考え始めます。ただし「精神勝利法」をスピリチュアル・ビクトリーとして明快に論理づけて説明しようとすると「後頭部がものすごく難しいことを考えてるときのように鈍く痛みだす」のです。私はこれを読んで、先ほど引用した「阿Q正伝」冒頭の語り手の言葉「頭の中に阿Qのお化けでもいるかのようである」を思い出しました。
 菖蒲さんは「阿Q正伝」を読んでいないのでその阿Qの末路も知らないのですが、阿Qのことを心底から理解し、魂のレベルで共感しているのです。そして彼女はブランド品を持つということ自体、結局は「精神勝利法」の一種じゃないか、とまで考える。そして物語の末尾では、これからの人生はシャネルが無くても完全勝利できる女になると誓うまでに至ります。それではブランド品無しで彼女が勝利するためには一体どうすればいいのでしょうか。贅沢品による精神勝利法に替わる勝利法を彼女は見付け出せるのでしょうか。見付け出せないとすると、彼女も阿Qのように破滅するのではないか、と私は心配しております。菖蒲さんの「贅沢品精神勝利法」克服宣言を聞いた彼女の唯一の親友でホステス仲間が「姐さん、アタマ大丈夫?」と言って物語は閉じます。ある意味では菖蒲さんが狂ってしまったと感じさせる終わり方です。これはどう解釈すればいいんだろうと悩みまして、私も後頭部が痛くなりました(笑)。こんなことを作者にお訊ねするのは野暮なことですが、綿矢さんのお考えを聞かせていただけませんか?
綿矢 菖蒲は阿Qの考え方を知って、目から鱗が落ちたというか、単純に羨ましくなったんだと思います。彼女が人と比べたときに自分の方が勝っていると感じられるのは、シャネルのバッグや稼ぎのいい夫を持っていることだけで、しかし、それは見栄に過ぎず、その弱さに北京に来てから気づき始めている。日本にいたときは狭い世界だったからその脆弱さはわからなかったけど、北京に来たときにブランド品を持つことの虚しさを知ったわけですね。だから、拠り所を自分だけにするという阿Qの考え方に感化されたんだと思います。
 阿Qの精神勝利法は確かにパーフェクトではないけど、ゼロから自分の価値を生み出す思想なので、彼女には輝いて見えた。これからの時代、あまり明るい未来が見えなかったとしても自分という資本があることに自信を持ちたいと思い始めたのではないでしょうか。
藤井 なるほど。ただ、阿Qの末路を知ってる読者としては、菖蒲さん、大丈夫? と心配しております。夫と別れて日本に帰る決意をしているようなのですが、再就職先を先に決めた方がいいんじゃないの、とも。
綿矢 そうですよね。私はこの小説を書いたときは菖蒲は北京を離れて日本に戻ってくるのかなと思っていたのですが、時間が経つにつれ、結局、別れられずまだ北京にいるのかもしれない、とだんだん考えるようになりました。私は帰ってきたけど、菖蒲はまだいるんじゃないのかなって。
藤井 このお話は冬から春にかけての物語ですが、夏になってそれこそアヤメが咲く暖かい季節になると、北京の人たちもファッショナブルな服装になります。そのときまで菖蒲さんが北京を漂泊していれば、またファッション競争の野心が蘇り、再びあの街を闊歩する元気を取り戻すのではないでしょうか。あるいは上海や南京、広州に足を延ばすのはいかがでしょうか。
綿矢 そうですね。もしかしたらあの決意も一時的なものかもしれませんね。夫ともなんだかんだで別れられないかも。春から夏になって消費欲が高まれば、また消費に走っているのかも。
藤井 ええ、そういう意味でもぜひポスト・コロナ版「漂泊北京的日本小資小姐」の続編を書いて下さい。林芙美子、茅野裕城子らに続けて、綿矢さんが「漂泊北京的日本小資小姐」の系譜を継承なさり、さらに阿Qイメージの系譜に加わったことは、東アジア文学史における一つの事件として、将来、語られることになるかもしれないのですから。
綿矢 漂泊北京的日本小資小姐! 素敵な言葉ですね。その伝統を継げたら、こんなうれしいことはありません。ありがとうございます。夏の北京も気になるので、真剣に考えてみます。

(2023.9.23 神保町にて)

「すばる」2024年1月号転載

 オリジナルサイトで読む