泳いでる最中に血管が切れて…?

――救急には連絡を?

連絡したんですが、渋滞の影響で到着まで1時間以上待ちました。その間、僕は由利(徹。たこの師匠)さんのマネージャーやたこちゃんの実家、赤塚不二夫さんに連絡をしました。

その後、救急車が来て隊員が応急処置したときに一瞬だけ、たこちゃんの顔色がよくなった気がしたけど、瞳孔が開いていたから「ダメか……」って感じで。それで11時ごろにはテレビの臨時ニュースが流れてたみたいです。

師匠の由利徹氏(写真左)らと楽しそうな、たこ八郎
師匠の由利徹氏(写真左)らと楽しそうな、たこ八郎

――外波山さんたちも取り調べを受けた?

そうですね。僕らは小田原署に連れていかれて、警察署の体育館みたいなところの四隅にそれぞれ立たされて事情聴取されました。事件性はないということで、その日の夕方には僕らは乗ってきた車に、たこちゃんは棺に入ってワゴン車に乗って東京に戻りました。もう、帰りの車ではみんな無言ですよ。あまりに急なことでしたから。

後日、火葬場でお経を読んでくれたお坊さんが、僕に「首の骨が黒くなってたから、もしかしたら泳いでる最中に血管が切れて呼吸が止まり、血が首の骨を染めたのかもしれない」と言ってました。いずれにせよ、苦しかったでしょうね……。

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――外波山さんは葬儀副院長を務めたんですよね。

生前から、たこちゃんが「俺が死んだら喪主は由利徹で葬儀委員長は赤塚不二夫、副委員長は山本晋也とトバ(外波山さん)がやって」と言ってたんです。

24日から26日までの3日間は僕の稽古場の2階でお通夜をやり、27日に告別式を行いました。菅原文太さんも駆けつけて、当時サントリーのCMに出てたからホワイトの小瓶を500個ほど取り寄せてもらって、それを香典返しにしたんですよ。