言語学者「近い将来、新しい呼び方が生まれる」
では、なぜ尊敬語が謙譲語にもなるという珍しい現象が起きているのか。その理由は「敬意逓(てい)減の法則」にある。
「尊敬語というのは、何度も使われ、一般化し、繰り返し耳にするようになるとありがたみが減ってしまうのです。『君(きみ)』はもともと帝王や諸侯などを指しましたが、時代とともに敬意が薄れ、一般人に使われるようになりました。
『貴様』のように敬意が減り続けた結果、相手を挑発するような失礼な言葉になってしまう、これを『敬意逓減の法則』といいます。『奥さん』は今でも尊敬語として使われている一方で、謙譲語の役割まで担ってきているのは、時代とともに敬意そのものが低減してきたからでしょう」
「奥さん」より丁寧な言い方に「奥様」がある。こちらも、かつては山の手の邸宅に住むような専業主婦を指していたが、今では営業担当者がセールストークで既婚者女性を一段上げるのによく使う。
このまま「奥さん」「奥様」が使われ続けると、言葉の丁寧さ、ありがたみがさらに薄れていく。そこで、すり減った敬意を補う手段として、近い将来、既婚女性を指す新しい呼び方が生まれる可能性がある、と井上さんは考えている。井上さんの提案はこうだ。
「私が提案するのは『奥方様(おくがたさま)』という呼び方です。『奥さん』『奥様』の流れをくみ、最大限の敬意を込めた言葉として、試してみる価値は十分にあるでしょう。日本語には『部長』『教授』『監督』といった役職で呼ぶ文化があります。職場を離れても、飲み屋などで役職が通称になっている人がいるでしょう。
本当はヒラ社員であっても仲間内で『社長』『先生』と呼ぶこともある。家族間でも『新しいゴルフクラブがほしいんだけど、うちの財務大臣がね……』など冗談を言うことも。こうした背景も踏まえ、『奥方様』という言葉には新たな日本語の可能性を感じます」
取材・文/小林 悟
編集/一ノ瀬 伸