無謀な移住に、親は心配し過ぎて寝込んでしまった
二人がオーストラリアで出会ったのは2002年。ジュンコはイベント制作・運営の会社を退職し、観光ビザで。マコトはワーキングホリデー制度を使い、ダイビングのインストラクターライセンスを取得しに。
旅の途中で出会い、共に生きていこうと約束したものの、互いの期限がきて帰郷すれば、東京と北海道と離れ離れに。
それなら二人とも知らない場所で新しい生活を始めようと、沖縄・那覇へ一緒に移り住むことを決断したのがちょうど今から20年前になる。当時あまりに無謀な計画を聞かされたジュンコの親は、心配し過ぎて寝込んでしまったという。
那覇に入ってすぐ、マコトがダイビングインストラクターの職に就けたので、通勤に便利な首里に一軒家を借りて住み始めた二人。
ジュンコは東京で勤めていたイベント制作の会社から、フリーランスの立場で仕事を受注しリモートで制作、イベントがある時に現場と沖縄を行き来したり、地元企業でフリーランスとして勤めたりする生活を、それから10年程続けることになる。
2005年、正式に結婚するに当たり、マコトは経済的に生活が成り立つよう、インストラクターを辞めて会社の営業マンに転職。そして2007年、長女が誕生した。
しかし、収入のためだけに、元々希望していたわけでもない会社員を続ける生活に、マコトは疑問を感じるようになる。
せっかく沖縄に来たけれど、これでは東京や他の大都市にいるのと変わらない。自分は何のために生きているのだろう。人間って何なのだろう……。行き詰まりを感じ、生き方を模索する日々が続くようになった。