愛って何だろう、これも愛なのか、
そう悩みながら書いていました

戦国屈指の勇将として名を馳せながら、その気の短さや嫉妬深さでも知られる細川忠興。生涯、忠興からの愛や時代の波に翻弄され続けたその妻・ガラシャ。ガラシャの壮絶な死は、関ヶ原の戦いの戦況にも影響を及ぼしたとされています。彼らはなぜそのように生き、死ななければならなかったのか―― 独自の視点でその真相に迫り、みずみずしい筆致で描ききった『花散るまえに』は、2019年に第32回小説すばる新人賞でデビューした、佐藤雫さんの最新作です。刊行にあたり、お話を伺いました。

聞き手・構成=小元佳津江/写真=露木聡子

“愛って何だろう、これも愛なのか、そう悩みながら書いていました” 戦国武将・細川忠興と妻・ガラシャを描いた『花散るまえに』刊行 佐藤雫インタビュー_1
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歪んだ愛を描いてみたい

―― 佐藤さんはこれまで歴史上の人物をテーマにした小説をいくつか書かれていますが、今回、細川忠興とその妻・ガラシャ(明智玉)を選ばれた理由は何だったのでしょうか。

 デビュー作『言の葉は、残りて』では源実朝と妻の信子、二作目の『さざなみの彼方』では浅井茶々と大野治長について書きました。一作目・二作目と同じ担当編集さんだったので、彼を信頼する気持ちで「何を佐藤雫に書いてほしいですか」とお聞きしてみたんです。そしたら、いくつか挙げてくださった候補の中に「細川忠興の歪んだ愛」というのがあって、私も、これだ! と。前の二作がわりと純粋というか、きらきらしたお話だったので、今までの作品とは異なる愛の形にチャレンジする気持ちでした。

―― 忠興の歪んだ愛、切なくもぐいぐいと引き込まれました。実在の人物ではありますが、本書の中での忠興像というのは、どのように造形されていったのでしょうか。

 忠興って「細川ガラシャの夫」みたいな書かれ方をしていることが多いんです。でも私は、忠興という人についてじっくり考えたかった。ネットなどでは忠興は「戦国時代のヤンデレ」なんて書かれていたりもする。勇猛果敢な名将と言われていますが、嫉妬深いことでも有名なんです。忠興は激高して容赦なく刃を振るう一方で、妻の死には涙を流し、キリスト教会葬を自らの意思で依頼する。この二面性は何なのかと。どうして彼は嫉妬深く、愛しているのに暴力的な行為に出てしまうのか。私はそこを書きたかった。忠興の弱い部分や人間らしい部分から人物像をつくっていきました。

―― 忠興はあの時代に名門細川家の長男として生まれ、それゆえの苦労もありました。本書では、父親から最初に教わったことが「散るべき時を知り、己の命を絶て」という自刃の作法であったことが描かれています。時代背景から当然とはいえ、読みながら、家と個の問題についても考えさせられました。

 私生活で、そういうことを考える機会も多かったので。執筆以外の時間は、子どもに関わる職場で働いているのですが、そこで感じたのは、本当にいろんな環境の子がいるということ。当たり前のことだけど、親は子どもを選べない、そして子どもも親を選べない。生まれながらにして恵まれた環境の子もいれば、逆に、かなり大変な環境の子もいる。でも、どんな環境であっても、どの子もみんな一生懸命に生きている。それを、子どもたちに教えてもらったんです。置かれている環境はどうにもできないと言ってしまえばそれまでですが、それをつくり出しているのは何なのかといえば、この世の中、社会だったりする。そのことは忘れちゃいけないと思うから、与えられた環境の中でその人らしく精一杯生きる、ということを書きたかったんです。

―― そういった背景があったのですね。忠興も、置かれた境遇も相俟って、つい共感してしまう存在として描かれています。

 忠興は、生まれた家柄や環境から、感情をうまく言葉にできず、孤独な幼少期を過ごしてきました。だからこそ、初めて自分を受け入れてくれた人である玉のことは、絶対手放したくないと思ったんだろうなと。それが、嫉妬深さにつながり、物語の中盤以降の彼の歪んだ愛になっていってしまうんですけど。読者の方に忠興を好きになってほしい、というのが私の中での大前提なので、彼の感情の推移はきちんと描きました。彼の残忍な面に「うわあ……」と思いつつ、その激情の中にある孤独に読者の方がキュンとしてくださったら、私のたくらみ通りかと(笑)。

愛に苦しんだ一人の女性としての細川ガラシャ

―― その忠興の最愛の人である玉は、ある意味忠興とは対照的な性格です。はっきりしていて気持ちのよい、実にチャーミングな女性ですね。

 玉――洗礼後は「ガラシャ」になりますが、細川ガラシャというと先行作品や歴史的なイメージは敬虔なクリスチャン、夫に従う妻、といった感じかと思います。でも、私が書きたいのはそういう彼女ではなく、あくまで忠興から見た玉、愛に苦しんだ一人の女性としての玉でした。もちろんキリスト教についても勉強し、キリスト教信者の方や、敬虔なクリスチャンとしてのガラシャが好きな方が読んでも違和感がないよう意識しましたが、そこを前面に出すのではなく、一人の女性としての生き方を書きたかった。

―― まさに愛に苦しみ抜いたといえる玉の生涯ですが、玉の忠興への愛も、忠興の玉への愛も、物語の局面ごとに変化していき、そこが本書の読みどころの一つになっていますね。

 玉は、最初の頃は、忠興のことを好きになろうと努力している「いい子」の玉なんですよね。でも、本能寺の変を機に、自分にとって一番大切なものが何なのかを考えたと思うんです。その結果、忠興に対して離縁を申し出た。それは、謀反人の娘になってしまったという事情はもちろんあるものの、細川忠興の妻としての立場は失っても、明智光秀の娘としての立場は失いたくないと彼女が思ったからなのかなと。つまりそこで、自分にとって大切なものは忠興の愛よりも、父親からの愛、自分を育ててくれた愛だったのだと気づいた。本能寺の変はそういう意味でも、玉にとってのターニングポイントだったのだと思います。そして、忠興も自分の愛が玉を苦しめていることに気づき、変わろうとする。そんな彼を見て玉は、最終的に彼の全てを受け入れ、応えていく。二人の愛の形は、物語が進むにつれて変わっていきます。