奇想の絵師・長沢芦雪の南紀への旅
山下 今回の本はすべての都道府県を網羅した美術ガイドとなっているのが特徴ですが、新くんは、全都道府県に行ったことはありますか?
井浦 島以外は全部行っています。昔から旅好きですが、日本美術に興味を持つようになってから、より楽しくなり、深入りしています。
山下 新くんがこれまで行って良かったところはどこですか?
井浦 和歌山県の串本です。長沢芦雪(1754~99)の足跡をたどって何度も行きました。
山下 串本は本州最南端の地ですね。江戸時代の京都の絵師・長沢芦雪の襖絵を所蔵する無量寺があります。芦雪は、師匠である円山応挙(1733~95)の代理として無量寺に派遣され、『虎図』『龍図』などの襖絵を残しました。新くんは、最初プライベートで行ったの?
井浦 はい。僕のバイブルである山下先生の『日本美術応援団』(赤瀬川原平との共著)を読んで、美術好きの仲間と行きました。
山下 僕も10回以上行ったけど、赤瀬川さんとの串本は特に思い出深いです。
井浦 美術の旅の醍醐味は、視覚だけでなく五感すべてを使って、気候や風土も含めて楽しめることです。串本へ行くと、芦雪はこんな日差しを浴びながら絵を描いたのだろうか、お酒を飲んで地元の漁師と過ごしたのだろうか、と想像が広がります。江戸時代と交通手段は違いますが、時間をかけて現地まで移動することで、京都からはるばるやってきた芦雪の気持ちにも思いを馳せることができます。
山下 芦雪にとって最高の旅だったと思うよ。京都から立派な絵師が来たと歓待され、酒をすすめられて、あきらかに酔っ払って描いた作品が、そこここに残っている。真面目な師匠の膝元を離れて羽目を外したんじゃないかな。
井浦 それができた場所が串本なのですね。
山下 帰ってから応挙に「おまえ、ずいぶんはしゃいでいたらしいな」と言われたかもしれない。ところで、新くんは紀伊大島にも渡った? 海金剛という巨岩があって、有名な橋杭岩に負けず劣らず素晴らしい。
井浦 行きました。芦雪もこの風景を見たかと思うと胸が一杯になりました。
山下 ニューヨークのメトロポリタン美術館に芦雪晩年の『海浜奇勝図』という、不思議な形の岩を描いた屏風がある。この作品には、若い頃、串本に行った記憶が反映されていると思います。このような実感が持てる点で、無量寺の芦雪は「この一点への旅」の代表的なものですね。
山下 芦雪といえば香住(兵庫県・香美町)の大乗寺にも、今回の本の表紙にした『群猿図』があります。メインの部屋の襖絵は応挙が描いていますが、そのほかを、芦雪をはじめとする応挙の門弟が描いている。現在、応挙の絵は再製画に入れ替えられていますが、間違いなく日本一の障壁画空間だと思います。こちらを訪れるのも、まさしく「この一点への旅」。
井浦 僕も何度か行きましたが、大乗寺は幸せを超えて心がバグってしまうような場所です。
山下 昔、赤瀬川さんと行ったときは、二階の「猿の間」はまだお寺の方が使っていて非公開でした。冬だったからこたつがあって、芦雪の絵を見ながらこたつでみかんを食べたよ。
井浦 羨ましすぎます。
山下 『龍図』も『群猿図』も今年10月から来年にかけて2会場を巡回する『長沢芦雪展』に出品されますが、会期終了後に所蔵先を訪ねることをおすすめしますね。