いつまでも得られない達成感と、終わらない義務感
父親の知りあいの工場経営者が、「うちで働きなさい」と声をかけてくれた。寮に住まわせてくれるという。自分がいないほうが継母と弟にとっていいのではないかと思った彼は、高校を卒業すると同時に家を出た。それから30年、継母と弟には会っていない。
工場では一生懸命に働いた。「こんな自分のため」に寮まで用意してくれて、雇うと申し出てくれたことに、申し訳なさがあったからだ。
働きぶりが認められて、工場のなかでも取引先との営業を担当する部署に配属が変わった。そこでは、任された仕事をこなすのではなく、自分から能動的に取引先に出向いて行かなければならなかった。それが彼には緊張を強いた。
ずっと、「あんたは頭が悪い」と継母から言われて育った。だから彼は、いつも自己否定していた。自分がちゃんとできているのか不安だった。
営業先に行くことが怖かった。契約してもらえるだろうか、何回も訪問してきてしつこいと思われるのではないか、契約をとらずに帰ったら「ダメなやつ」と思われるのではないか……。
ゆえに彼は努力した。おかげで、だんだんと契約もとれるようになった。すると、また異なる役割を与えられた。部署を統括する立場である。出世もした。給料もあがった。だが、彼には満足感や達成感が一切なかった。
その代わりに募るのは、「こんな自分に任せてもらっているのだから、結果をださなきゃ申し訳ない」という焦りだった。一層、仕事にのめり込んだ。
同僚が、「やり過ぎじゃないの?」と声をかけてきたこともあったが、「平気、平気。これくらいなんのその」と言って笑ったという。残業代を申請せずに働く彼を、同僚は「ばかだ」と言った。