「世界で最も安全な国」の医療が破綻する時
平時の日本は世界で最も安全な国であり、世界中で好印象を持たれている国でもある。
救急医療についても、119番通報の覚知から救急車が現場に到着するまでに「平均7分程度」であるように、その体制が整えられた国のひとつに数えられる。
しかし現在、私たちが享受している救急医療体制はあくまでも「平時」ゆえに機能しているものであり、「有事」となれば脆くも破綻してしまう危機が発生する。しかも「有事」に至る蓋然性が意外にも高いこともまた、日本の特徴と言える。
これまで「災害大国・日本」と呼ばれるように、平時医療体制が破綻する「有事」に至る要因の最たるものは、自然災害だった。
今もその優先度は変わらないが、台湾有事に関連した日本の南西諸島方面での衝突や、全国の在日米軍基地へのテロの危険性も考慮せざるを得なくなっている。
こうした危険性が、安全保障や危機管理の専門家だけでなく一般の人々にとっても「他人事ではない」と感じられるようになった要因のひとつには、2022年2月24日から始まった、ロシアによるウクライナへの侵攻が挙げられる。
そしてもうひとつが、同年7月8日に発生した、安倍元総理銃撃事件だ。
「個人的な恨みであって、テロではない」という解説もあるが、本来、警護担当者によって安全が確保されているはずの要人が、日本では想定外の銃撃を受けたことは、国内外に大きな衝撃を与えた。
つまり、これからの日本は、予測することが難しい自然災害に加えて、紛争やテロのように「人が発生させる危機」による平時医療体制の破綻にも備えなければならなくなった。
実は日本でも、安倍元総理の銃撃やロシアによるウクライナ侵攻前から、「一般人が有事に巻き込まれ、複数の傷病者が発生し、通常医療が破綻する」ケースは想定されてきた。
例えばメディアでは、当初2020年に予定されていた東京五輪(実際はコロナの影響で1年延期となり、2021年に開催)に向けたテロ対策として、厚生労働省が爆発物や銃器、刃物による外傷治療に対応できる外科医養成に乗り出すことが報じられていた。
テロが世界で多発する中、日本国内ではこうした外傷治療の経験がある医師は限られているため、不測の事態に備えるのが狙いだ。
銃創や爆傷に対して行う手術は、通常の外科手術とは別の専門性が必要とされる。
特にテロ発生現場では患者の容態が不安定なことが多く、術前に十分な検査をする余裕がないまま、メスを入れて初めて損傷した臓器がわかるような緊急手術が大半だ。執刀医には、速やかに適切な手術法を選び、あらゆる臓器損傷に対応できるだけの技量が求められる。
平時医療体制が破綻するいずれのケースも、医師が最大の治療能力を発揮できるような体制づくりが重要であることは共通しており、そのための戦術を持たなければならない。「手術」も「作戦」も英語では同じく「operation」と表現する。
それらを効率よく実行するための「tactics」(戦術、戦法)が重要で、今の日本はここが決定的に欠けている。