テレビコンテスト優勝で芸人デビュー

1981年にブッチャーブラザーズというコンビを結成したとき、ボケ担当のぶっちゃあは24歳になっていた。もともとは映画監督を目指して東映の俳優養成所に入ったが、俳優の森田健作(前・千葉県知事)に請われてマネジャーに。そこで2年間を務めたあと、芸人の道に進んだ。

芸歴42年、ぶっちゃあ(68歳)「明日売れようと思って生きてます!」 ダンディ坂野、アンジャッシュらを育てた“黒子芸人”の夢_1
インタビューで芸人人生を振り返るぶっちゃあ
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ぶっちゃあが当時を振り返る。

「そのころ、テレビ番組にお笑いコンテストがあって、アマチュアも参加できたんです。『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ系)の『お笑い君こそスターだ!』というコーナーで僕たちはチャンピオンになりました」

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「お笑い君こそスターだ!」の優勝トロフィーを持つ若かりし日のぶっちゃあ(右)と相方のリッキー

「お笑い君こそスターだ!」は、「ザ・テレビ演芸」(テレビ朝日系)と「お笑いスター誕生‼」(日本テレビ系列)とともに若手芸人の登竜門となっていた。「ザ・テレビ演芸」でも4代目チャンピオンになった。

そんなブッチャーブラザーズは、桜田淳子、松田聖子らのいたサンミュージック所属のお笑いタレント第1号になった。

「吉本興業にNSCという養成所ができたのが1982年、1期生のダウンダウンが世に出る少し前ですね。この仕事を始めたころ、こんな芸人になりたいという具体的なイメージはありませんでした。テレビに出て売れたいという思いだけで」

その後、ブッチャーブラザーズも出ていた『お笑いスター誕生!!』でグランプリを獲得したとんねるずがテレビ界を席巻。1988年にはダウンタウンが東京進出を果たし、ぶっちゃあよりも若いお笑い芸人が次々とスター街道を駆けていった。

「デビューしたては、僕たちもテレビにたくさん出していただきました。そのころが一番多かったかもしれません」

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