「税金を使って我が国を自虐的に描くことは許せない」

時は下って、終戦50周年にあたる1995年――。

アメリカを代表する博物館である、スミスソニアン博物館の『エノラ・ゲイ展』(日本の報道では「原爆展」)が共和党保守派、在郷軍人ロビー、主要メディアなどから壮絶なバッシングにさらされ、事実上の中止に追い込まれるという騒動があった。

スミソニアン博物館
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スミスソニアンの原爆展は「正義の原爆」という米国内の従来イメージを様々な視点から検証し、相対化する試みだった。そこで問われたのは「日本とはすでに降伏・和平交渉をしていた。原爆投下の必要性は絶対ではなかったのでは?」ということだった。

加えて原爆展は、原爆投下は「戦後ソビエトへの牽制」、「人種差別的要素などが影響していた」など、最新の歴史観をも取りこんだ斬新な内容の展示だっただけに、原爆神話にどっぷりと浸っていたアメリカ人に大きなショックを与えたのだ。

私も当時、ワシントンで『エノラ・ゲイ展』に反対する人々を取材した。その中で忘れられないのは「広島・長崎の犠牲者を紹介することは、税金を使って我が国(アメリカ)を悪く描くことになる」という発言だった。日本の保守派が歴史教科書検定で、「税金を使って日本を自虐的に描くことは許せない」と主張する論理とまったく同型の主張である。

スミソニアン博物館と反対派との交渉はやがて、「原爆投下せずに日本との戦争が長引けば、何人の米兵が戦死していたか?」という論争にまで発展した。その数字は博物館側が6万人、在郷軍人側が100万人(中国大陸まで戦禍が拡がるとする過激な前提)というもので、連邦議会での公聴会まで開かれて議論されたものの、双方の認識は埋まらず結局、『エノラ・ゲイ展』という革新的な試みは潰され、「原爆神話」は生き延びた。

最近では若者層や民主党支持者の間で、原爆観が変容しつつあるという調査もある。しかし、今回の「バーベンハイマー騒動」はそうした調査の根拠が希薄なことをはからずも証明してしまった。原爆投下をギャグにできるアメリカ人の「風景」はいまも続いている。

最後に私たち日本人への問いかけとして、#NoBarbenheimer(バーベンハイマーにNO!)上に、日本人のこんな驚きのコメントがあったことを指摘しておきたい。

「8月にだけ騒がれ、風化しつつあるとされる原爆投下をめぐり、こんなに多くの日本人が怒りを示すとは」

ひょっとしたら、アメリカより先に日本の原爆観が変化しているのかもしれない。

文/小西克哉 写真/共同通信社 shutterstock