「エリート社会の落伍者」となるのが怖かった
――学生時代からのご友人にも助けは求めなかったのですか?
高校時代の友人は今でも親友と呼べる存在がいて、東大時代にも数人いますが、答えは同じで、やはり「助けて」とは言えなかった。それはプライドもあったけれど、私の小心者という性格も影響したのかもしれません。
大学時代の友人の一人に言われたんですよ。「あなたは、こちらが答えてほしいと思っていることを探って(質問に)答えてくるよね」って。嫌われたらどうしようとばかり思っていた気持ちが出たんでしょうね。
――ただ40歳になった今ならどうでしょうか? 今の明るいキャラクターの山口さんだったら「私は今、こんなに困っています」とさらけ出せるんじゃないかと思うのですが。
ん〜、どうでしょう。もし受けた傷が現在進行形の生々しい状態だったら、迷うところですけど、弁護士時代のように傷つくことはないかもしれません。自分が事務所内で、透明人間になったように、相手にされてないと思い込む。エレベーターに乗っても、同僚や上司が自分のことを何か面白がって話しているんじゃないかと、勘ぐる。そんなわけがないのに。
――この時期も含めてですが、山口さんの頭脳明晰ぶりと社会人としてのステップアップ、それから、当時の環境とも、大きな乖離があるような気がしました。苦しかったのではないでしょうか。
圧倒的なミスマッチでしたよね……。私が周囲よりも秀でていた能力は「何かを読むのが無茶苦茶に早い」だけ。それが勉強には合っていても、仕事には全く不向きでした。
他人よりも優位にいることが自己認識にあると、自分が劣位していると気づいた時が、本人にとってはきついんです。自分の核となるものが、大きく削がれて「エリート社会の落伍者」となるわけですから。祖父、父が官僚組織のトップオブトップという一家に生まれて、自分も同じ道を選んだ知人がいました。でも自分は祖父や父ほどにはなれないと分かった瞬間、奥さんのお腹に子どもがいたのに自死を選んだんですよ。それほどのことだし、やはり誰にも言えない。